新勧進帳-西行の憂鬱-第四章

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第四章 新勧進帳

その二日後、最初の山伏の一団が関に現れた。

「なんと、山伏のこれなる関にまかり通る候」

 関所の番卒の一人は、芝居のセリフを言うように神妙な顔をして富樫にそう伝えた。すると、先ず俊章が大きな声で応えた。

「何、山伏のこの関だと」

「何と、山伏のお通りあると申すのか、心得ておる」

 富樫はそう言って立ち上がると、俊章に向かってもったいぶって話を続けた。

「それそれ、客僧達、ここは関所ですぞ」

「関守殿、承知しておる。さて、ご承知のことと思うが、奈良の東大寺の再建のため、国々に客僧を遣わしている。北陸道をわしら客僧が承けたまり、こうしてまかり通ろうとしておるのだ」

「それは近頃殊勝なことだが、この新関は山伏たる者に限りかたく詮議をし、不審なるものを通さぬことになっている」

「よく分からぬな。さて、そのねらいは、」

「それは、それがしが、鎌倉殿から山伏をかたく詮議せよとのお達しを受けているからだ」 この富樫の言葉に、三人の番卒人も口をそろえて言った。

「我々もその命に仕えているのだ。ここにお前達山伏が現れた。一人も通すことまからぬぞ」

 

 この番卒の言葉に、山伏達が腰の刀に手をかけたため、切られたら大変だと番卒達は一斉に山伏達に切りつけた。番卒達は恐怖の絶頂にあったのだ。

 四人の山伏が三人の番卒達と戦っているうちに、残りの大柄な山伏と小柄な山伏が、それぞれ来た方向と反対の方向に分かれて逃げた。三人の山伏は背負った笈がじゃまで身軽には立ち回りができず、斬り殺されてしまった。戦っていた残りの一人は笈を捨て、小柄な山伏を追うように逃げのびた。

 富樫は、あの小柄な山伏が判官殿であったとしても、逃げおおせたので安心した。

 しかも、二人で逃げたのだから、道中何とかなるであろうと思った。

 義経主従が山道を雪解けでぬかるんだ道に足を取られぬように歩いていると、俊章が走ってきた。息も絶え絶えに、こう訴えた。

「判官殿、承意と私は逃げおおせたが、後の三人の仲間は斬り殺されたようだ。関守や番卒らはぴりぴりしていて、そう簡単には関は通れない、どうやって関所を通過するか、もう一度考え直さねばなりますまい」

 俊章はさらに付け加えた。

「それから、関所の連中はまるで芝居でもしているようなしゃべり方をしていた。我々も芝居をしているような変な気になり、刀を抜いて戦ってしまった。用心した方がいい」

俊章の話を聞いて、郎党達はそれなら力づくで通ってしまおうと荒っぽい意見を出したが、それに対して弁慶はこの後の道中を考えると、今は問題を起こさないほうが賢明であるとさとした。

 山伏姿をしていると、関に着いたとたんに有無も言わぬうちに全員殺されるかも知れない。

 そう考えた弁慶は義経を強力(ごうりき)の姿に変装させ、後ろについてくるとうに義経に頼んだ。

 それを聞いて、血気盛んな四人の郎党は、やはり武力で関を破ろうと太刀に手をやろうとするのを見て、弁慶が押しとどめた。

「お前達、短気を起こすな、しばらくがまんせよ。さもなくば、先程も申したように大変まずいことになるのは目に見えている。たとえ今度の関を踏み破ろうとも、行く先々で監視され、そこを強引に踏み破らなければならない。それでは、奥州まで行きつくは極めて困難になる」

 

 それでも、郎等達は義経にそんな格好をさせることは気が進まなかった。

 だが、義経が「皆も弁慶の意見を聞きいれてくれ」と言うと、郎等達も涙を流しながらうなずいた。

 金剛杖をつき、網代笠を左手に持った強力姿の義経が心配そうに弁慶の方を向いた。

「なあ、弁慶、道々言ったように、このように行く先々に関所や見張りがあっては、奥州まで行き着けるのだろうか。これでは、我々も名もない者にかかって殺られるかも知れないな。もちろん、そうなることは覚悟している。無事に関を通れるよう祈りばかりだ」

義経を最後尾に、一行はいよいよ安宅の関へと向かう。

 義経は連日の山歩きで疲れ切り、すっかり気弱になっていた。

 死を覚悟しているものの、弁慶や他の四人の郎党から励まされ、強力の姿をすることを納得していたが、不安は隠せなかった。

 弁慶は、皆にはそう強く言ったが、強力の姿というだけで無事関所が越えられると思うほど甘くはないことは分かっていた。

現に三人の仲間が殺されている。弁慶は、義経を荷物持ちの強力にさせているのがいたましく心苦しくもあり、気を配りながら話を続けた。

「ですから、判官殿には兜巾(ときん)篠懸(すずかけ)衣などを脱ぎ修験者の身につけるものをはずし笈を担いでいただき、強力になっていただいているのです。とにもかくにも、私に任せて下さい。判官殿にはおいたわしいが、笠を深々とかぶりくたびれた様子をして、我々よりも後ろに引き下がってお通りになれば、だれも、判官殿だとは疑わないでしょう。判官殿は遅れて別の一団に加わり、ずっと後から来ると思うのではないでしょうか」

 義経は兄に認められず追われる身となり、今こうして強力姿で歩いていることが悲しかった。だが、ここは皆を引っ張って難関を打開しようとがんばっている弁慶に任せなければいけないと思った。

「ともかく、弁慶、よきに計らえ。皆のものも背くではないぞ」

 四人が義経の言葉にうなづくのを見て、弁慶は言った。

「それでは、お前達は先に通りなさい」

「かしこまって候」

四人の郎党は気を和ますように、芝居っぽく応えた。

 義経も、「皆、弁慶に従うようにな」と、再度、自分にも言い聞かせるように血気にはやる郎党をいましめた。

義経一行は、弁慶を先頭に関所の門をくぐった。

 すると、関所の番卒が一行の行く手をはばみ、富樫に向かって声をかけた。

「なんと、山伏のこれなる関にまかり通る候」

 富樫が応える前に、弁慶が先に応えた。

「何、山伏のこの関だと」

「何と、山伏のお通りあると申すのか、心得ている」

 富樫はそう言うと、座っていた葛桶(かづらおけ)から立ち上がり、弁慶を見た。

「それそれ、客僧達、ここは関所だぞ」

「関守殿、承知しております。さて、奈良の東大寺の建立のため、国々に客僧を遣わしています。北陸道をわしら客僧が承けたまり、こうしてまかり通ろうとしているのです」

「これは近頃殊勝なことだが、この新関は山伏たる者に限り、かたく通さぬことになっているのだ」

「分からぬこと。さて、そのねらいは、」

「それは、鎌倉殿と判官殿が不仲となられ、義経主従が作り山伏となり東に向かっているとのことを鎌倉殿がお聞きになり、こうして国々に新関を立て山伏をかたく詮議せよとのお達しがあり、それがしが、この関を守るようにとの命を承けたのだ」

 この富樫の言葉に、三人の番卒も口をそろえて言った。

「我々もその命に仕えているのだ。ここに大勢の山伏が現れた。一人も通すことまからぬ」

 この言葉に、弁慶は反論した。

「委細承り候。それは、作り山伏を留めよとの仰せであり、誠の山伏を留めよとの仰せではなかろう」

 その言葉に対し、番卒はそれぞれ強い剣幕で言った。

「いいや、昨日も山伏を三人切った」

「その上は、例え誠の山伏たりとも容赦はならぬ」

「それでも通るというならば、一命にも及ぶべし」

 弁慶はさらし首の方を見た。

「さて、その切ったる山伏の首は、判官殿か」

 その問いに富樫が答えた。

「難しい問答は無用だ。とにかく一人も通すことは、まかりならぬ」

 富樫は重々しい声でそう言い切ると、ゆったりと葛桶に腰を下ろした。背中は汗でびっしょりになっていた。

 鎌倉殿の真意を、義経主従にも番卒達にも感づかれてはならないのだ。また、弁慶達がもうこれまでと思い血気にはやっても、殺さざるを得ない。

 ここで打ち損じても、判官殿は関の者達が手加減して関を通したと疑い、平泉に向かうのを止めるかも知れない。彼らが疑いを持たずに関を通るか否かは、まさに自分の芝居の仕方にかかっている。

 富樫は、さてどうしたものかと考えあぐんでいた。

 その時、弁慶が口を開いた。

「言語道断だ。こんな不祥事があっていいものか。もうどうしようもない。それでは最後のお勤めをさせていただき、それからおとなしく(あや)めてもらうことにする。皆の者、近う寄れ」

 その言葉に、四人の郎党はうなずき、弁慶を真ん中にして四方に座った。

「それでは、最後の勤めをしよう」

 その言葉に、四人は修験道の祖である役行者(えんのぎょうじゃ)の修行を受け、即身即仏の本体をここにて討ち留めされること、明王がご覧になったらどうなるか、熊野権現の罰が当たるだろう。これは、だれが考えても疑いのないことだ。その事が成就するようにと、聞こえよがしに言った。それから、阿毘羅吽欠(あびらうんけん)と真言を唱えながら、数珠をさらさらと押しもみ祈りを捧げた。

 祈りが終わったとき、富樫はいいきっかけを思いついた。

「さて、近頃殊勝なご覚悟、感嘆いたしました。先程お聞きしたところでは、奈良東大寺の勧進と言われたが、よもや勧進帳を所持していないことはないでしょうな。勧進帳をやってみて候え。ここで聞かせてもらう」

 この富樫の言葉に、弁慶は富樫の心の動きを読んだ。

「何と、勧進帳を読めと仰せかな」

「いかにも」

「心得て候」

 弁慶はそう言いながら、勧進帳がないので、笈の中から巻物一巻をとりだし、これが勧進帳だとゆらすように見せ、高らかに読みはじめた。

「ソーレ、よくよく思いみれば、」

 そう読みはじめると、富樫が立ち上がり勧進帳を確かめようとする。

 弁慶は、巻物が富樫からみえないように、それとなく富樫の方に向き直り読みはじめる。

「大恩教主の秋の月は、涅槃(ねはん)の雲に隠れ、生死長夜の永き夢、驚かすべき人もなし。ここに中頃、帝がおはしました。御名を聖武皇帝と申し奉る。最愛の夫人に別れ、恋慕の情やみ難く、涕泣眼に荒く、涙玉を貫ね乾くいとまなし。故に上求菩提の為、盧遮那仏(るしゃなぶつ)を建立し給う。然るに、先の寿永(じゅえい)の乱の折焼亡し(おわ)んぬ。かかる霊場の絶えなん事をなげき、俊乗坊重源勅令を受け、無情の観門に涙を落とし、上下の真俗を勧めて、かの霊場を再建せんと諸国に勧進す。一紙半銭報賽の輩は現世にては無比の楽に誇り、当来にては数千蓮華の上に坐せん。帰命稽首(きみょうけいしゅ)、敬って(まお)す」

 人々の人生の導き手としてありがたい釈迦如来が秋の月が雲に隠れるように亡くなられてから、この世の迷いを晴らしてくれる人はいなくなりました。さて、しばらく前に、聖武天皇という帝が最愛の夫人と死別し、泣きくれていた。しかしその悲しみの思いを転じられて仏道に向かわせられ廬遮那仏、すなわち、東大寺の大仏を建立されたのである。ところが、かかる由緒のある霊場が焼亡してしまう。このまま絶えてしまうことを悲しんで俊乗坊重源が朝廷の命により諸国に寄付を募る勧進を行っています。たとえ、わずかなご寄付であっても、浄財を捧げた人々は、この世では比類の無い安楽を得るでしょうし、来世でも極楽往生できるでしょう。ご寄付のほど、伏してお願い申し上げます。

 弁慶は、ざっと、こんなことを言ったが、何を言ったか分かった者などいなかったのだ。

 天にも響けと大声で読み上げてから、弁慶は巻物を巻き納め、さあどうだという表情を富樫に向けた。

 富樫は弁慶の勧進帳を聞くと、弁慶が武道だけでなく仏法にも予想以上に詳しいことが分かり、これなら何とかいけると安心した。そして、家来達を一層納得させるために、もう少しつっこみを入れることにした。

「そなたの勧進帳についての説明を聞いた上では、疑わしいことはない。だが、ことのついでに教えていただきたいことがある。世に仏徒の姿はいろいろあるが、なかでも山伏はいかめしき姿にて仏門修行をする様は、何かいわれがあるのか」

 弁慶はそれは簡単な質問をするという顔をして答えた。

「修験の法と言えば、胎蔵、金剛の両部を旨としている。嶮山悪所を踏み開き、世に害をなす悪獣毒蛇を退治して、現世愛民の慈愍を垂れ、あるいは難行苦行の功を積み、悪霊亡魂を成仏得脱させ、日月清明、天下太平の祈祷を修す。かかるがゆえに、内には慈悲の徳をおさめ、表に降魔(ごうま)の相を顯わし、悪鬼外道を威服せり。これ神仏の両部にして、百八の数珠に仏道の利益を顯わしている」

 胎蔵界(たいぞうかい)とは、密教の教主である大日如来を慈悲または理(真理)の方面から説いた部門であり、胎蔵は母胎の意で、一切を含有することにたとえられている。

金剛界(こんごうかい)とは、大日如来を智慧の方面から明らかにした部門であり、大日如来の悟りの智慧は堅固で、一切の煩悩を破るとされている。

 密教では、この両部を説いているのだ。と、弁慶は答えたのだ。

「ところで、袈裟衣をまとい、仏徒の姿をしているのに、額に、兜巾という小さい頭巾をかぶっているのはなぜか}

「富樫殿、それは、兜巾と衣の篠懸は武士の甲冑に等しく、腰には弥陀の利剣を帯し、手には釈迦の金剛杖にて大地を突いて踏み開き、高山絶所を縦横せり」

「寺僧は錫杖を携うるに、山伏修験の金剛杖に、五体を囲むとのいわれは何と」

「言うまでもないことだ。金剛杖は、天竺檀特仙の神人、阿羅邏仙人の持ち給いし霊杖にして、胎蔵金剛の功徳をこめり。釈尊いまだ悟りが開けず瞿曇沙弥(くどんしゃみ)と申せし折、阿羅邏仙に給仕して苦行し給い、やや功積もる。仙人その信力強勢(しんりょくごうせい)を感じ、瞿曇沙弥を改めて照普比丘(しょうふびく)と名づけたり」

「してまた、修験に伝わりしは」

「阿羅邏仙より照普比丘に伝わる金剛杖、かかる霊杖なれば、わが宗祖役の小角(えんのおづの)、これをもって山野を跋渉し、それより世々にこれを伝う」

「仏門にありながら、帯せし太刀はただ物おどさん料なるや、まことに害せん料なるや」

「富樫殿、これぞ案山子(かかし)の弓矢に似たれど、おどしに佩くの料ならず。仏法王法に害をなす、悪獣毒蛇はいうに及ばず、たとえ人間なればとて、世を妨げ、仏法王法に敵する悪徒は、一殺多生の理によって、ただちに切って捨つるなり」

「それでは、目にさえぎり、形あるものは切り給うべきが、もし無形の陰鬼陽魔、仏法王法に障碍をなさば、何をもって切り給うや」

 富樫は、どうでもいいとは思いつつ、自分の知識を絞り出すように問い続けた。

弁慶は、その問いは簡単という顔をして答えた。

「無形の陰鬼陽魔亡霊は、九字真言をもって、これを切断せんに、何の難きことやあらん」

「して、山伏のいでたちは」

「即ち、その身を不動明王の尊容に象る(かたどる)なり」

「頭に戴く兜巾はいかに」

「これぞ五智の宝冠にして、十二因縁の(ひだ)をとってこれを戴く」

「かけたる袈裟は」

「九区分に分類されて画かれる九会曼荼羅の柿色の篠懸(すずかけ)のことだ」

「足にまといし脚絆(はばき)はいかに」

「胎蔵界の黒色のはばきと称す」

「してまた、八つ目のわらじは」

「わらじの耳を八カ所作り、それを八葉の蓮華を表し、その上にあるという心なり」

「出で入る息は」

阿吽(あうん)の二字」

「そもそも九字(くじ)の真言とは、いかなる義にや、ことのついでに問い申さん。ささ、なんとなんと」

 富樫もだんだんと、大芝居に酔い、問い方も芝居がかってきた。

 すると、弁慶も、それに懸命に答えた。

「九字の大事は深秘にして、語りがたきことなれども、疑念を晴らさんそのために、説明しましょう。それ九字真言というのは、いわゆる、(りん)(びょう)(とう)(しゃ)(かい)(じん)(れつ)(ざい)・前(ぜん)の九字なり。臨める兵、闘う者、皆 陣烈きて、前に在りということ。まさに九字を切らんとなす時は、正しく立って歯を叩くこと三十六度、まず右の大指をもって四縦を描き後に五横を書く。その時急々如律令と呪する時は、あらゆる五陰鬼、煩悩鬼、まった悪魔外道死霊生霊、たちどころに亡ぶること、霜に煮え湯を注ぐが如く、げに元品の無明を切るの大利剣、莫耶が剣も何ぞ()かん、まだこの上にも修験の道、疑いあらば、たずねに応じ申さん。その徳、広大無量なり。肝にえりつけ、人にな語りそ、あなかしこあなかしこ、大日本の神祇諸仏菩薩も照覧あれ、百拝稽首、かしこみかしこみ謹んで申すと云々、かくの通り」

内容が分かろうはずがないのに感銘したような番卒達の顔を見て、これで番卒も疑わないだろうと、富樫は安心した。

「さて、かかる尊き客僧を、しばしも疑い申せしは、目があって無きがごとき我が不念。今より勧進の施主につかん。お前達、お布施を持ってこい」

富樫はそう言うと葛桶に腰を下ろした。すると、番卒が白木の台に、加賀絹と白綾袴(しらあやばかま)、それから、砂金の袋を乗せて、富樫の前に持ってくる。

「些少ではあるが、奈良東大寺建立の勧進、この布施物をお受け下されば、我が功徳、ひとえにお願い申し上げます」

「さて、これほどの寄進、子の代までの安楽、何の疑いもありませんぞ」

 弁慶はそう言いながら数珠をもみ、合掌し、顔を上げる。

「我々は、近国を勧進し、四月の半ばに京に戻りることにしている。それまで、いただいた品は、お預け申す」

 弁慶はそう言って品々を番卒に渡し、四人の方を見る。

「それでは、皆のもの、通らせていただこう。さあ、急いで急いで」

 そう言いながら、弁慶は皆が関所から出るように促した。

 

 顔はきびしいままであったが、内心、やっと関を通れたと安心したのだ。

 富樫は一行を見送ろうと葛桶から立ち上がり、胸をなで下ろしたのだ。

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