小さい政府・ビギンズ 第一章

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一 日本書紀の謎

 日本は、まるで平安時代末期のように乱れた社会になっていた。奈良時代の律令国家体制が崩れ、朝廷の権力が弱くなったように、国の政治指導力がなくなり、社会は欲望のままに動いている。これも全て、「小さい政府」が発端であった。

 

 世界が大きな経済危機に見舞われた時、米国は、「変革」と言っていた。だが、危機から脱出すると、以前の反省はどこへやら、結局、一回り小さな消費型社会に戻っていた。壊滅した製造業は再生できなかったのである。

 アジアでは、独裁的な政権の西国が強い輸出競争力で経済圏を拡大し、アジア全体に影響力を増していた。朝鮮半島では、小北国が旧北国を統合し、北国となったが、旧北国の貧困層への生活補助のため経済力が弱まり、政治的には、旧北国が支配する独裁国になっていた。

 日本は、西国の強い輸出競争力に敗れ、衰退の一途をたどっていた。さらに、無駄の多い「大きな政府」が弱体化に拍車をかけていた。

 大原慎一郎首相は、「小さい政府」実現の公約を掲げ、日本の弱体化に歯止めをかけようとしていた。官僚を減らして歳出を削減すれば、国の借金は減り、物価も下がり、若者の暮らしもよくなると考えたからである。たが、与党内で主導権を握っている前田派や官僚の抵抗により阻まれていた。

 大原は何とかしようと焦っていた。このままでは、二期目も公約が果たせずに終わりそうだ。だが、八方ふさがりの状態であった。

五月のある日の朝、神谷町駅に近い八森ビル二十階にある藤原デベロップメントの社長室、松井恵子が社長の出勤前に机を片付けていた。三十八歳、長身のほっそりした身体には、ダークグレーのスーツがよく似合っている。五年前に会社が創業してからずっと、社長付の秘書をしている。だから、社長のことはよく分かっているつもりであった。

 今日も、机の上にはいくつも付箋が挟まった歴史の本が山と積み上げられている。

 松井は、歴史学者の父親の影響で歴史が好きで、古代史にも造詣が深かった。だから、ほとんどの本が、大化の改新(たいかのかいしん)に関連していることに気がついていた。だが、社長がなぜ考え事に没頭しているのか、なぜ大化の改新なのか分からなかった。

大化の改新とは、七世紀の中頃に中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)中臣鎌足(なかとみのかまたり)蘇我入鹿(そがのいるか)を殺し、入鹿の父の蘇我蝦夷(そがのえみし)を自害に追い込んだ乙巳の変(いっしのへん)と呼ばれるクーデターと、その後、国家体制を改革し律令制を確立したことである。だが、このクーデターだけを指すこともある。中大兄らがこのクーデター以外に具体的に何をやったか、よく分からないからだ。

会社は、新規事業が進まず、資金繰りも苦しくなり、あえいでいた。この間だって、試験センターの設置認定が下りなかったため、職員の採用内定を取り消したのだ。こんな厳しい中で、社長はなぜこんな本を読んでいるのだろう。昼間も、お茶を運んでいくと、何かにとりつかれたように、よくぼけっと考え込んでいる。

 社長が停滞している仕事のしがらみから逃げようとしていることは理解できる。だから、社長の気持ちが分からなくもない。だが、会社職員の士気も衰え、部下の社長への求心力も落ちているのだ。

 

 企画部長の立花香織も業務部長の物部加奈子も、社員、皆の心がだんだん社長から離れていることを心配している。だから、二人とも社長に忌憚のない意見を述べてきたそうだ。F計画の新経済特区の設置認定を早く出してもらうために、もっと政府に働きかけたり、融資を滞りなく進めてもらうために、銀行にも顔を出すようにと。

 立花と物部は松井より五歳年上で、藤原デベロップメントが設立された時に、親会社の八森企画から一緒に派遣された仲間だ。女同士なので、気楽にしゃべり合えるのだ。

皆がやきもきしているのも何のその、今日も、社長の藤原亮太は、出勤すると手早く決裁書類に目を通してから眼鏡をはずした。社長室の窓を背に、いすの背を傾けて小太りの身体を伸ばす。そして、いつものように、目を閉じたまま、日本書紀の皇極天皇のくだりや談山(たんざん)神社の多武峰(とうのみね)縁起絵巻のシーンを頭に浮かべ、考えはじめる。

藤原は、五十三才、五年前から藤原デベロップメントの経営者としてF計画を進めている。F計画は、低賃金で工場生産の業務受託をし、西国に移った日本企業の工場を日本に呼び戻そうとしている。だから、F計画は、西国内の日本企業の工場に労働者を派遣している技術合作公司にとって、目の(かたき)だ。当然、西国を裏で仕切っている国際金融にとっても目障りな計画である。大原首相が推してくれているのに、この半年ほど、F計画に必要な新経済特区の設置認定が下りていない。合作公司との連携で与党内で強い勢力を持つようになった前田派が、担当大臣に設置認定をしないように圧力をかけているためだ。

藤原は、万事休すであった。そんな中、ひまをもてあまして何気なくインターネットで新刊紹介を見ていた時、たまたま、「日本書紀に書かれたうそ―蘇我入鹿は大悪人ではない―」という本の紹介記事が目に止まった。古い日本の史書の分析、唐や朝鮮の歴史や発掘された木簡などの内容を参考にして、古代史の書き換えを提案していたのだ。

これが彼に新鮮な古代の息吹を感じさせ、彼の歴史への好奇心に再び火を付けたのだ。さっそく、その本を読みはじめる。もちろん、藤原自身にも、長い間遠ざかっていた趣味の歴史の世界に戻ることは、現実からの逃避ではないかという後ろめたさがあった。

ところが読み進めると、中大兄皇子と蘇我一族との関係が、大原首相と前田派の関係に似ていることに気がついた。

唐の影響が日本や朝鮮に及ぼうとしている時、蘇我一族のリーダーである蘇我入鹿は、唐に近づいて日本の独立を守ろうとしていた。それに対し、中大兄らは蘇我一族を押さえつけ朝廷に権力を集中させ唐に対抗しようとした。そのため、大化の改新を行ったのだ。

一方、前田派の領袖(りょうしゅう)である前田晋一は、西国に近づいて日本の独立を守ろうとしている。米国にしっぽを振っている日本のように、今度は、西国にもしっぽを振ろうというのだ。それに対して、大原首相は「小さい政府」を確立し、西国に対抗しようとしていた。

藤原には、ヤマト朝廷をしのぐほどの勢力になった蘇我氏一族と現代の前田派が、約千四百年の時空を隔てて、似たものに見えてきた。

中大兄が蘇我一族を押さえつけたやり方が分かれば、同じようにして、大原首相は前田派を押さえつけることができるはずだ。そうすれば、前田派の妨害で止まっている新経済特区の設置認定が得られ、F計画も復活できるはずだ。藤原は、そう考えていたのだ。

七二〇年に完成した日本書紀によると、中大兄皇子と中臣鎌足は、多勢に無勢の中、乙巳の変を起こして蘇我入鹿を殺し、さらに、父親の蘇我蝦夷を自害に追い込み、その後、大化の改新を成功させた英雄だ。入鹿を殺したのは、入鹿が帝の位をねらう大悪人だからだ。聖徳太子の子である山背大兄王(やましろのおおえのおう)の一族を滅亡に追い込んだというのだ。これがそのまま日本の正史とされている。

入鹿が大悪人であるならば、入鹿や蝦夷を殺されても、大勢力を持つ蘇我氏一族が大悪人の一族の汚名を着せられないように、中大兄らに反撃しなかったことは理解できる。

だが、入鹿が大悪人でないならば、蘇我氏一族は、入鹿が暗殺されたのに、なぜ中大兄らに反撃せずに蝦夷を見殺しにしたのだろうか。中大兄が暗殺という手段をとったということは、朝廷側より蘇我一族の方が力があったということだ。蘇我氏一族はどうして反撃しなかったのか。

しかも、日本書紀によると、入鹿の暗殺後、中大兄らは、次々に邪魔者を殺しながら大化の改新を成し遂げている。大化の改新とは、蘇我氏など豪族全体の権利を奪い、朝廷に権利を集中させ、律令国家体制を確立するという大きな社会改革である。それなのに、朝廷側より力があるはずの蘇我氏などの豪族は、なぜか、少しも反抗しなかったのだ。

なぜだろう。何か、日本書紀に書かれていない隠された秘策があったのだろうか。

 藤原は、この謎に興味を抱き、仕事もうわの空で、夢中になって考えていたのだ。前田一派をやっつけることができれば、停滞したF計画の打開にもなると信じていたからである。そこで、次々と関連した本を読みあさったり、昨秋には、大化の改新の舞台になった奈良の明日香(あすか)を訪ねたりもした。しかし、今まで答えは見つかっていなかった。

 

 今日も、藤原の脳裏には、訪れた明日香の伝板葺宮(でんいたぶきのみや)跡の記憶の上に、西暦六四五年、皇極四年、六月十二日の雨にけむる板葺宮大極殿(だいごくでん)が、甘樫(あまかし)の丘を背景に浮かび上がってくる。日本書紀にある大化の改新の発端となった乙巳の変のはじまりだ。

 王座に座る皇極天皇に向かい、三韓の上表文を読んでいる蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらやまだいしかわまろ)の声や手がわずかに震えはじめる。佐伯連子麻呂(さえきのむらじこまろ)ら二人の刺客がいっこうに入鹿に斬りつけようとはしないからだ。異様な雰囲気を感じとった入鹿を見て、あせった中大兄は、「えいっ、今だ」と叫び、子麻呂らとともに、わっと入鹿に襲いかかる。

斬られた入鹿の胴体は、血しぶきを上げて玉座の方に倒れ込み、首の方も、女帝の目の前の御簾近くまで飛んできて、床に転げ落ちる。入鹿暗殺のシーンだ。

 

 また、別のシーンも浮かんでくる。蘇我本宗家が滅びたシーンだ。

 入鹿が四人の兵士に担がれて変わり果てた姿で甘粕の丘の上の(やしき)に戻ってくる。警護の長である漢直(あやのあたい)が息せき切って、このことを蝦夷に告げに来る。蝦夷は、私兵として東国から集めた多数の屈強の強者に邸を警備させ、蘇我氏一族の援軍が来るのを待っている。しかし、待てど暮らせど、援軍は来ない。一方、中大兄らの本隊は、正午近くに飛鳥寺に集結したまま一向に動こうとはしない。

 夕刻、巨勢徳陀(こせのとくた)が中大兄の使いとして邸の城門の前に現れ、「朝廷に逆らうものは逆賊だ」と、中に向かって叫ぶ。すると、邸内で守備についていた高向臣国押(たかむこのおみくにおし)が「確かにそうだ。(あるじ)のために討ち死にするなんて、むなしいことだよ」と、漢直に耳打ちし、自ら剣や弓を捨て城門から逃げ出す。それに、漢直が続く。それを見て、邸の警備をする私兵らは次々と四散して行く。あとは蝦夷と側近、それから入鹿の遺骸を残すのみとなる。

 入鹿の遺骸のそばにどっしりと座り込み夜を明かした蝦夷は、もはやそれまでと、寝殿に火を放つように命じ、自刃する。邸は、天をも焦がす火に包まれて崩れ落ちる。

この二ヶ月ほど、いつも同じシーンを頭に浮かべ、自問自答していた。蘇我入鹿が殺され、蝦夷が自害させられたのに、なぜ、蘇我一族は何も刃向かわず、救援にも行かなかったのか。なぜ、高向臣国押や私兵らは巨勢徳陀の意見に従い、戦わずして逃げたのか。だが、中大兄が蘇我一族を押さえつけた方法がどうしても思い浮かばなかった。

でも、今日は違った。蘇我一族に見放され困惑している孤立無援の蝦夷の顔をクローズアップしてみた。すると、藤原は、ぴんとひらめいたのだ。

「そうか、入鹿の暗殺の前に、入鹿と蝦夷は他の蘇我一族から切り離され、孤立していたんだ。しかも、蝦夷の邸にいた高向臣国押だって、はじめから戦う気などなかったのではないか。だから、いとも簡単に、乙巳の変が成功したのだ」

「ということは、前田親子を孤立させてやっつければ、大原首相が主導権を取れる。そうすれば、他の前田派議員もF計画を推進してくれるはずだ。F計画を復活できるぞ」

藤原は、そうつぶやきながら、納得したように満面の笑みを浮かべた。

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