一 自由な自治体
大原は、行政大改革で辞めさせた元官僚の存在がこわかった。
政治家は押さえつけているので心配なかったが、元官僚が集団で反旗を翻した場合、大原のワンマンショーがどれだけ持ちこたえられるか、疑問だったからだ。
それは、西国にとっても同じであり、大原だけを脅迫していればいい現在の状態を保ちたかったのだ。だから、彼らをぐうの音も出ないようにしなければならなかった。
そこで、これまでの公的機関の財務状況の調査結果を公表した。
多くの機関で、国から毎年支払われる出資金を資本金として積算し、「借金箱」を作ってきたことを社会に示し、天下り経営者に経営能力は必要なかったことを明らかにしたのだ。
出資金は、本来、借金であり、事業で得た利益から「返済されるべき金」であった。ところが、出資金を「もらった金」として使い、得られた利益は、「自分たちの金」として使っていたのだ。
出資金は、収支上、収入欄に書き、支出とバランスさせていた。返さないから、収入欄に毎年加算されていった。社会は、それを「借金箱」と呼んだ。
借金箱には、一組織当たり数百億円以上の借金がたまっていた。歴代の経営者に、支払いが求められた。国は一切関与しなかった。支払い請求は、金融機関に委ねられた。
指導官庁も、借金箱に関わっていた。そのため、指導官庁の幹部役人も責任を追及され、歴代経営者とともに、借金返済が求められた。
年金も同じ問題があり、実状を公開した。
基礎年金は消費税でまかなうようにし、それまでに個人が積み立てた年金保険金を個人に別途一時金または均等割で支払うことにしていたが、支給が遅れていたのだ。
年金積立金の目減り分を、社会保険庁が民営化される時に、関連公的機関の歴代の経営者に支払いを求めていたが、それが滞っていたのだ。
無駄な施設を作り、安く売却した一連の事件への責任である。
経営者としておよそ能力のない役人が天下り、組織をほしいままに操り、「皆様に役立つ施設」や「皆様のための低利の融資制度」をつくり、債務を雪だるま的に増やした。
そして、たっぷりと給与と退職金をせしめ、債務を借金箱に入れて、ドロンを決め込もうとしたのだ。
だが、積立金が目減りした一番大きい原因は、お年寄りに多く支給していたからである。だが、この件に関しては、政治家の責任を問われないように密かに処理された。
債務の返済状況は「週間インターネット」上で公開された。支払が終わるまで子供や孫も信用の格付けが下がるので、関係者は必死になって返済した。
また、当局の人事課の人で、天下りする人の能力を問われ、「この方面の能力があるから経営を任せているのだ」と、言い張ったために、とばっちりを受けて、連帯して借金を払うことになった人もいた。
大原は、若者の福祉を重視し、老人への福祉を見直し、年金支給額を減少させると同時に、相続税を大幅に増やした。
遺産相続しても目減りが多く、生きているうちに、できるだけ消費してもらおうと考えたからだ。
老人が消費すれば、若者には、仕事の機会が増えるのだ。
西国は、活力のある若者に不満を抱かせるようにして、日本を早く崩壊に向かわせたかったが、若者重視の政策を掲げた大原は、きっぱりと断ったのだ。
西国は、大原の考えを不承不承認めた。大原政権をしばらく維持したかったからである。
老人の消費拡大の政策に乗り、金融会社は、年金支給額以上の暮らしを求める老人向けに、土地・財産を活用した老人生活保障サービスをはじめた。
F計画や他の老人養護事業者と提携して、老人住宅の貸与と、生活補助金を支払う金融商品である。
これは、老人住宅への入居とともに、土地・財産を処分して換金してしまうものであるが、社会の変化を目の当たりにしていた老人の関心は高く、多くの者が契約した。
これが、土地の供給を促し、地価を低下させるのに役立つとともに、老人の消費拡大による内需の拡大に役だった。
一方、世界的な長寿を誇ってきた日本も、寿命が低下しはじめた。
老人病院や老人ホームで、「生かされ続ける」ということが少なくなってきたのである。
大切なことは、幸せに、豊かな心で生きることに価値があり、機械や薬に囲まれて物理的に長生きし、テレビを見ながら時間つぶしをすることではない。
だれも分かっているが、できるなら長生きさせてやりたいという気持ちを否定することも、人としての倫理観が許さなかったのである。
それが、長寿にこだわらなくなったのは、税収が減少し、若者の発言力が増したため、人生に対する価値観も変わり、国民の要求が現世の豊かさの確保に変わったからである。
大原は、国の研究開発プロジェクトを原則として中止した。
例外は、軍事研究であり、予算の範囲内で、最大の防御力を維持するための研究開発が進められた。
特に、無人兵器と、情報収集技術の開発に向けられた。そのアウトソーシングにも、F計画は進出したのだ。
素粒子の研究など物質の根源に関する発見や、宇宙での大発見など、国の科学技術を誇るための大計画も中止された。ノーベル賞獲得競争にうつつを抜かす予算などはなかったからである。
自費でやるのは自由であったが、だれも金を出さなかった。もちろん、日本の国際的貢献として、日本が分担を約束した研究への投資は進められた。
国のこのような考えに対して、民間は、失敗の可能性が多少大きくても、実現した場合に利益が大きく期待できるものを民間資金で進めた。
大量の資金投資を行っても、早期に実現できれば利益をもたらすからである。
たとえば、遺伝子工学技術、ナノ技術、医療技術、量子技術など、高度科学技術の研究などが民間から国債の還流資金などにより大規模に進められた。
核融合発電や核燃料サイクル、高速増殖炉の開発は、中止された。多額の投資と、数十年の研究開発が必要だが、民間は出資しなかったからである。
加速器の研究開発は、民間が採算がとれると考えるものだけ進められた。
民間は、国に既存の国の研究施設の民間での有効活用を要求し、全面時に認められた。
原子力発電については、国は以前に技術開発のために整備した原子力研究開発施設が民間に提供され、軽水炉の安全性や経済性を高めるための研究や廃棄物処理技術の開発が行われた。
特に、廃棄物の環境への影響についての研究は、大原が関心を持っていたので、国も出資し、重点的に進められた。
しかし、原子力や遺伝子工学では、万一災害が起きた場合には、とても民間で損害賠償はできず、結局、災害時の損害賠償は全て国が行うことになった。
大原首相が小さな政府による権限の縮小や自治体の自立を急速に進めたため、税金の無駄使いが大幅に減った。また、インターネットによる政府や自治体の監視が社会を大きく変えた。
従来型の政治家の活躍の場である土木、建設、福祉、許認可における政府への口利き、議会での議決における私利、私欲による意見表明ができなくなり、関係者への責任追及は、極めて厳しくなったからである。
政治家には、国家運営へのビジョンを持つことが求められ、しっかりした世界観や人生観を持ち、かつ、優れた経済的なセンスを持つことが求められたのである。
彼らの行動は、インターネットで監視され、評価された。
大原は、社会を変えようとすると、いとも簡単に、皆が従い、思い通りになることに、少なからず不安と恐怖を抱いていた。ちょっと指示するだけで、社会がどんどん変わっていくからだ。
大原も、西国が背後で社会を操っていることはうすうすは感づいていた。
ちょうど、自分が魔法のランプを手にしたアラジンのように思えた。
だが、ランプの精が実現する世界は、アラジンの思った通りのものであっても、次にその反作用で起きる災いが待っているのだ。
本当にこのまま進んでいいのか。行き着くところは思っているような世界なのか。大原だって、本当のところは、予測できない展開に恐れをなしていたのである。
よく、田中が意見を述べに来る。批判されるのがもっともなことは、自分でもよく分かっている。
だが、背後で西国に脅されていることは、田中には絶対に口に出せない。
そんなことをしたら、彼だって消されるかもしれないからだ。
だから、大原は、だんだん田中を避けるようになっていた。
一方、田中は、悩んだ末、箱根の議論に参加してくれた先輩の太田治夫に電話してみた。
「太田さん、これからの社会の動きをどう思いますか」
「田中さん、多分、地方自治体は、細分化し、日本はもっと混乱するだろうな。大原首相が今のままの政策を続けていけばね」
「どういうことですか」
「そうだな、政治とは、みんなの希望を満たすことと、みんなの欲望を抑えて、社会の規律を保つことだよね。それが、地方自治法の改正で、いくらでも自由な自治体ができるようになった。その結果、力のある人々の希望と欲望は満たされるようになった。その代わり、」
「太田さん、もう少し分かりやすく説明してください」
「要するに、弱者の不満がたまり、社会が体をなさなくなるということだ。大混乱が起きるのではないかな。大混乱が続けば、日本は、西国に乗っ取られるだろうな」
「ついでにお聞きしたいのですが、小さい政府の方はどうなると思いますか」
「そうだな、外交、防衛、治安維持、司法、国民管理、それから、通貨の管理のような国家経営の基本的な仕事だけが残るだろうな。あとはみんな民間に移るよ。もちろん、国民の健康、年金、安全の維持、子供の育成、エネルギー確保のような、国民の生活の根源となるものは、国が責任を持たなければならないな」
「確かに、行政の仕事が減ったので、立法の仕事も減った。議会はすでに小さくなり、何も困っていないですね」
「確かに、失職した元公務員が、事業を興したり、民間企業に移ったりして、国や自治体がやっていた仕事は、ほとんど民間でできる。あとは、自治体難民の問題だな」
「自治体難民ですか、ホームレスのことですね」
「住民が自治体を選ぶように、自治体も住民をえり好みし、自治体を追い出される住民が増えてくるだろう。こうした自治体難民が増えてきて、大きな騒ぎを起こすかもしれなと、」
「そう言えば、最近、街中でホームレスが前よりも目につくようになりましたね」
「それが問題なんだよ」
太田が強調したのが、社会の中で格差が広がると、国民は自分本位になり、国を愛するという考えがなくなるということであった。
今の国際情勢を考えると、国民が一団となって、外国に対応できるようにしないと行けないというのだ。
しかし、大原首相は、自治体難民が増えるのに対して、何の対策も講じなかった。正しく言えば、西国が大原に無視するように指示していたのだ。
1ページ(全4ページ)