第三章 義経主従の比叡山脱出
平治三年一一八七年、旧暦二月、今の暦で三月の半ば過ぎ、早朝の比叡山から見る琵琶湖は春霞にかすんで見えた。
山伏姿の六人組が表門を出て琵琶湖の湖畔に向けて旅立って行った。陽動組の出発だ。
俊章以下、承意、四人の郎党の平賀次郎景宗、秋田太郎盛純、信夫太郎季就、福島藤次忠澄である。
先頭の大柄な山伏の姿が目についた。俊章だ。背格好といい、弁慶とそっくりであった。
その後ろには、前後、左右を屈強な山伏に守られた小柄な山伏が続いている。僧の
十人ほどの僧が、深々と頭を下げて彼らを見送った。うっそうと茂った木々の間から漏れてくる陽の光が、静かに遠ざかっていく一行の影を柔らかく包み込み、朝靄の中に消していった。
見送りの僧等は手を合わせ再度頭を下げた後、表門から僧院に戻った。
その日の夜、裏門からは僧が密かに一人ずつ山中の細い道に出て行き、闇に消えていった。僧の
しばらく行くと、かすかな月明かりに山伏姿の四人の影が浮かんだ。相従う郎党の伊勢三郎義盛、亀井六郎重清、江田源三弘元、片岡八郎弘経である。
僧の仲教は二つの組の連絡役でもあった。
「判官殿、他の四人のうち、熊井太郎忠元殿、権頭兼房殿、備前平四郎定清殿は、町人姿で加賀に直行し、三つの川の河口で舟の手配をします。鷲尾三郎経冶殿は我らとの連絡役になります」
「分かった、仲教」
「判官殿も、着替えをしてください」
仲教の声に何か緊迫感を感じ、義経はだまって用意してあった
一行は山中の道を黙々と歩きはじめた。春になったとはいえはく息は白く、顔も手足も凍てつくように寒かった。
伊吹山地を越えて越前と美濃の間の山中に入るまでは、昼夜なく歩きづめであった。
だから、最初の寺に泊まったときは、疲れがどっと出て寝てしまった。だが、疲れのとれぬうちに、肩を揺すられて目を覚まされた。
まだ夜も明けていなかった。早々に食事を済ませ、歩きはじめる。
こうして暗い足元を気にしながら歩いていると、義経は、なぜ、自分は大勢の追っ手から何とか逃げて生き永らえてこられたのか。再び、疑問がわいてきた。
兄上が自分を朝敵に仕立て、自分が奥州に逃げ込み秀衡殿に保護させるのを待つ。
それを口実にして、奥州藤原氏を滅ぼし、金鉱を奪う。
得られる金を使って日宋貿易を行い、源氏の資金源としようとしているのではないか。
それならば、自分は奥州に逃げ延びない方がいいのではないか。
奥州に逃げ込めば、兄上の思うつぼだし、秀衡殿にも迷惑がかかることになる。
義経は、そんなことを考えながらだまって歩いていた。
わらじも雪でぬれ、冷えた足の感覚はほとんどなくなっていた。
義経一行は、安宅の関に近づいていた。
義経は、よくここまで、逃げてこられたものだと思った。
一回、二回の危機突破ならば、あり得るかも知れないが、何度も続くとやはりおかしいのではないかと思うのは当然であった。
義経は、兄頼朝が懸命に自分を捜索している状況を想像していた。
兄上は四方八方に手を回し、自分の行方を懸命に捜しているであろう。だが、うわさばかりで、確実な情報を手に入れていなかったのではないか。
自分と行家殿が、九州へ下向するためと京の都を退去したのは、文治元年、一一八五年の十一月の三日のことであった。
その翌日、摂津源氏らの追撃をかわす。生き残った部下とともに船で
自分が伊豆有綱、堀弥太郎、武蔵坊弁慶、静の四人とともに、和泉の浦に漂着したところまでは、兄上も自分たちの足取りをつかんでいるであろう。
だが、その後のことについては、天王寺当あたりに現れたとのうわさをつかんでいるだけで、その後の自分の消息はとんとつかんでいないのではないか。
ただ、自分が十一月半ばまで吉野の方に逃れ、吉野山を徘徊していたらしいことは、確かめているはずだ。
身重だった静と泣く泣く別れた。静は、十一月十七日、吉野の蔵王堂にたどり着いたところで捕まったそうである。だが、自分が吉野に隠れていたことは知られたであろう。
その後、鞍馬の学問所で自分と顔見知りであった坊主の十字坊を頼って、談山神社がある多武峰の南院 藤室に行った。
捕まった静は母の磯禅師とともに、三月に鎌倉に護送され、四月八日に舞を舞わせたそうだ。舞を舞っている静かを頭に浮かべると、何としてでも平泉に行き、兄上に復讐したという気持ちがわいてきた。
四月二十日頃、自分が比叡山にいるとのうわさを聞いたそうである。
五月十二日、懸命な捜索により、和泉国の小木郷、今の大阪府貝塚市で行家殿を発見し、殺害している。
六月の初めには、自分が鞍馬にいるとのうわさが流れる。
七月には、比叡山にいるという情報があり、関係者の自白で六月二十日頃までは確かに居たことが確かめられただ、自分らが逃げたあとであった。
九月二十日、郎党の一人、堀弥太郎、別名、金売吉次が捕まり、その自白により、自分が藤原家の菩提寺である興福寺に潜んでいることがつきとめられる。
仲間の知らせで、自分と、かくまってくれた観修坊聖弘殿は危機一髪逃げることができた。捜索があったのは、その翌日であった。
その後、自分と仁和寺の
自分は、明けて文治三年、一一八七年の正月に比叡山に逃げ込む。もう、情報は漏れることはなかった。
比叡山には、そう易々と捜索の手は入れられないので安全であった。
朝廷同様に、比叡山を相手にするほどには、兄上には力がなかった。せいぜい脅かすだけがやっとであったのだ。
ただ、兄上が脅かすだけでも、比叡山には大きな圧力であり、自分の包囲網は少しずつ狭まっていると感じていた。
この間、自分の家人が次々に殺害されたり、自害させられたりし、残っている者はわずかになってしまった。
それにしても、自分だけは、危機一髪のところで助かる。最近、特にそうだ。あれだけ身内のものが殺されているのに変だ。自分がうまく急場をしのいだように思わされてきたのではないか。
平家追討の名目で行使していた兄上の軍事行動も、平家追討が終わった段階で名目を失うことになる。名目として使えることは、自分の追補だけである。
もし、京に戻った自分が勢力を高め、法皇が自分を立てて兄上に対抗すれば、兄上の権力は失われるのだ。
だから、兄上が勢力を持っているうちに、自分を早く捕まえて法皇から切り離さなければならないのではないか。
そうでなければ、兄上は政治権力を手に入れることができない。
兄上は御家人にそう意見され、その意見に乗ったのではないか。
だが、自分が兄上から切り離されると、源氏の軍隊を兄上が指揮できるわけではなく、単なる形だけの大将となり、御家人の言うことを聞かなければならなくなってしまう。
兄上は身を守るためにも自分を生かし、御家人を牽制する必要があるのではないか。
また御家人は、自分を奥州藤原氏に保護させ、朝廷の命に背いて自分をかくまったとして、奥州征伐の理由にすることを考えているのかも知れない。
少なくとも、戦略がそういうように変わったのではないか。
だから、いずれにしても、自分が兄上の手の者によって間違って殺されたり、自分が自害でもするとまずい状況になったのではないか。
自分が平泉の秀衡殿のもとに行かないとまずい状況になったのではないか。
きっと、心の許せる側近や地方の守護には、自分を見つけても気が付かないふりをして逃がすようにと言っているにちがいない。他の者にも、殺さずに捕まえろと言っているのであろう。
兄上の魂胆は、そんなところではないか。自分がそんな兄上の工作に気が付かないと思っているのか。そんな魂胆に乗る自分ではないぞ。
だが、自分が秀衡の下に行かずに死んでしまっては、兄上や御家人に復讐ができない。
こうなれば、平泉への道中で、相手の出方を見て、兄上や御家人の考えを確認し、その後の行動を考えてはどうか。ここまで大勢の者に協力してもらって平泉に向かおうとしているのに、「ここで止めます」とも言えないのだ。
義経は、腹をくくった。とりあえず、「前進」することにしたのだ。
加賀国の守護で、安宅に館を構える
義経一行が、先頃旅の山伏を装い比叡山を出発し琵琶湖を渡った。
さっそく各地に新しい関所を設け、山伏が通ったらきびしく取り調べ、疑わしければ捕縛せよ。
そのため、加賀の国においては安宅川に下る道と山の道との交わるところに関を作り、不審者を捕らえよ。
その命令に、富樫は、一瞬迷った。鎌倉殿からは、別途、密命を受けていたからだ。
判官殿は、今まで捕まらなかったことに対して、鎌倉殿が判官殿を故意に平泉に逃がそうとしているのではないかと疑っているようだ。そんな判官殿の考えを一掃してほしいという命令だ。
このままでは、判官殿は、どこかで、立ち回りの末、殺されるか、自害しかねない。
だから、一行に疑われないように、自分がだまされたふりをして関所を通過させ、義経を奥州に逃がすようにしろというのだ。心搏の演技が求められたのだ。
判官殿をだますのには、まず、身内をだませなくてはならない。
鎌倉殿が自分にこの役を頼んだからには、何としても、判官殿が疑いもせずに自分をだましたと信じてもらうようにしなければならないのだ。
鎌倉殿のご命令であるから、実行しなければならないが、自分は武士であり、役者ではない。自分にそんな難しいことができると鎌倉殿はお考えなのだろうか。
そもそも、なぜ、鎌倉殿は判官殿を平泉に逃がしたいのか。富樫には分からなかった。
富樫左衛門は、正しくは、富樫
加賀と越中の国境の
そして、義仲が義経等に討たれた後、加賀国の守護に任ぜられたのだ。
だから、富樫にとって、義経は元同志であり、義経をだますことにはためらいがあった。
だが、今の情勢では、鎌倉殿につかなければ自分の一族に未来はない。
また、自分が判官殿を捕まえれば、判官殿は殺されるであろう。
少なくとも、自分が判官殿を奥州に逃がすことができれば、自分が判官殿に手を下さずにすむ。
「うまくできるかどうか分からないが、一生一代の大芝居でこの難しい役をやるよりしょうがない」
富樫はそう決心すると、家来を呼んだ。
「お前達、よく聞け、急いで安宅川の上流の山道沿いに関を作れ、二日以内に作るんだぞ」
そう家来に命じてから、関の番卒達を指名した。
山伏達の最初の一団が明日到着するだろうという日に、やっと、にわか作りの関所ができたとの報を受ける。
富樫は、早速、できばえを確かめに関に向かった。
関に着くと、関所のできをざっと調べた後、落ち着かない表情の関所の番卒に、声をかけた。
「関は、首尾よくできたな。皆のもの、集まっておるか」
「はい、御前におります」
頭を下げた番卒の前に進むと、皆を見回した。
「ここのところ、鎌倉殿と判官殿が仲が悪くなり、源九郎判官殿が偽の山伏姿で東北に逃げだそうとしていると、鎌倉殿がお聞きになった。そこで、全国に関所を作り、山伏をきびしく取り調べるようにお達しが出た。それで、私は、この関を守らなければならない。皆のもの、ぬかるでないぞ。分ったな」
すると、
「山伏と見たら、御前に引き立てます」
「修験者たる者が参りましたら、縄をかけ討ち取るように警護する次第です」
と、番卒は、口々に言いはじめた。
それを制するように、富樫は言った。
「だが、お前達、よく覚悟して置け。山伏達にはあの判官殿や弁慶もいるのだぞ。下手に立ち向かえばやつらに斬り殺されるぞ。我々の人数も多くはないしな」
心細そうにする番卒の顔を見て、富樫は少し脅かしすぎたなと思い、付け足した。
「山伏が来たら、優しい気持ちで詮議をしろ。もし、不審に思ったら捕らえろ。相手が抵抗したら、即座に斬り殺してもいいぞ。首尾よくいけば、鎌倉殿のお心も安らかにお成りになり恩賞も出るであろう。皆、心して励めよ」
番卒達は、承知しましたとばかり頭を下げたが、恐怖心からか身体がこわばっていた。
それを見た富樫は付け加えた。
「そうそう、相手の機先を制するのが一番だ。そのためには、芝居をやっているようなしゃべり方にしなさい。そうすれば相手も面食らうはずだ」
富樫のこの言葉で、番卒は少し落ち着いたように見えた。
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