「ただいま」
滑るように開いたドアの先は全て真っ白。
殺風景な部屋の中に置かれた真っ白なベッド、真っ白な機械達、真っ白な戸棚。
真っ白な布団に微かに覗く青白い肌。
(お帰り。疲れたでしょう? ゆっくり休みなさい)
頭の中に優しく響く言葉。
目の前で弱々しく微笑む顔。
握った手は仄かに暖かい。
私は再びその言葉と微笑み、暖かさを胸に焼き付けた。
:
「ルビー。あんたってば、また浮かない顔してる。そんな顔しないでよ。暫くはこの街にいられるんだから。今日の仕事だって近場なんだし」
いきなり目の前に現れた若葉色に、私は目を瞬かせた。
私の前に立って後ろ向きに歩いているのは、私の幼馴染であり、相棒の「ハーブ・アイリア」。
若葉色の髪に同じ色の瞳。
水色のローブを着込み、今日もお気に入りの縞々長靴下を履いている。
「後ろ向きに歩くと危ないから、止めなさい」
私の命令口調に少し不満そうな顔をしつつ、彼女は再び横に並んだ。
「そういえば、今日は子供グループのみんなはいなかったね」
ハーブの言った子供グループというのは、私が働いている店の二十歳以下の従業員を指す。
その私が働いているという店の名は「ラムザ」といって、この港町「シアグラード」を守る冒険者達が所属する組織の本部であり、街の情報が集まるバーでもあった。
そして、私「ルビー・クラウン」と「ハーブ・アイリア」はそのラムザの一員であり、意外に思われがちだが古株である。
いろいろと事情があり、私達はラムザが立ち上がったばかりの頃から雇ってもらっているのだ。
最初のうちは冒険者ではなく、バーの従業員として働いていたのだけど、いつからか冒険者として働くようになった。
私は精霊魔法を扱い、軽い物なら剣も扱う事ができる、言うなれば精霊騎士。
そしてハーブは水色のローブから分かる通り、味方を補助する魔法が得意だ。
「クイット元気にしてるかなぁ。あの子の精霊って面白いよね〜」
クイットというのは最近私達に新しくできた後輩。
可愛らしいエルフの女の子だ。
周りの話を聞くと、性格にかなり明確に裏表があるらしいけれど、私は可愛らしくなかなかに礼儀正しい彼女の姿しか見た事がない。
まぁ、影で彼女は悪魔使いなんて異名を持っているくらいだから、裏の方は結構な性格をしているのだろう。
そしてそのクイットも精霊使いで、私を姉さん、と慕っている。
今日の仕事現場は近場らしいので、ラムザにも早く帰る事ができる筈だ。
帰ったら彼女の冒険談等も聞いてみよう。
「クイットに比べて、ルビーの精霊って精霊っぽくないよね。あんまり可愛げがない」
精霊には人型と、自然のままの形をしているものがいて、私が呼び出せるのはその後者。
クイットが呼び出す精霊は人型で会話ができるのだけど、私は自然のままの形で会話できない。
それがハーブにとっては“可愛げ”がなく“つまらない”ようだ。
「精霊は精霊でしょう? 可愛げがなくても支障はない」
私の言葉にハーブは口を尖らせたがそれ以上は何も言ってこなかった。
「それで今日の仕事は? もったいぶってないで早く話して」
私たちは普段、ラムザに来る依頼を受け、その報酬で生計を立てている。
依頼というのは、街近くを徘徊するモンスターの退治や、荷馬車などの護衛、薬草採りや、生き物たちの捕獲、戦い方や魔法の使い方を依頼者に教えに行ったりなど、いろんな種類のものがあった。
私たちはそんな様々な依頼の中から、自分達の実力にあったものを選び、仕事をこなすのだ。
そして今朝、私が起きると、ハーブはいつの間にか何やら仕事を引き受けてきていた。
港に行くと私を引っ張ってきただけで、未だに仕事の内容を聞けていない。
今歩いている通りを抜ければ、広場に出、そこを抜ければもう港だ。
そろそろ目的を教えてくれたっていいだろう。
「う〜ん…。まぁ、そろそろ教えてあげたっていいか」
ハーブは軽く腕組みをして自信たっぷりな笑みを浮かべた。
「今回は本当に面白い仕事だよ!それ即ち…海中探検!」
ハーブがあまりに大声で宣言したものだから、通行人たちが好奇の目で私達を見ながら通り過ぎて行った。
「ちょっと! 声がでかい!」
私はハーブの口を手で塞ぐ。
「というか、海中探検って具体的には何をするの? 仕事なんだから、ただ海に潜ってくればいい訳じゃないでしょう?」
私が聞くと、ハーブは力一杯私の手を引き剥がし、膨れっ面を浮かべた。
「そりゃぁ、仕事は仕事だけどさぁ…。もうちょっといろんな事に楽しもうよ! そんな堅物にならずに!」
また“堅物”か。
最近ハーブが私に不満を持った時、真っ先に出てくる言葉。
どうも私は石頭というか、融通が利かないところがあるようで、ハーブはそれが不満なようだ。
「まぁ、いいか、こんなとこで言い争っても仕方ないし」
彼女は溜息をつき、上目遣いに困ったような視線を送った。
私も彼女の言い分には少しムッとしたが、彼女の言うとおり、言い争っても仕方がない。
仕事や冒険にはチームワークが大事だ。
私が何も言わず黙っているのを見て、「最近ここらで海底洞窟が発見されたんだ」 と、ハーブは歩く足を止めず、そう話を切り出した。
「その海底洞窟は、この街のとある団体が遠隔操作できる潜水艇で海を探索していた時、偶然発見したんだけど、洞窟を発見した事に気を取られて、運転を誤っちゃったらしいのね。それで、潜水艇が岩にぶつかっちゃって大破。それで本体や大体の部品は船とかで引き上げられたんだけど、どうしても細かい部品は人の手を使ってじゃないと拾えないらしくて。それで今回の仕事はその散らばった部品を探してくる事なんだ」
そして後からのハーブの補足説明によれば、部品を全て拾って帰らなくても良いそうだ。
赤く塗装された小さな部品がとても重要な物らしく、まだ5つ見つかっていないらしい。
なので、その部品を5つ、そして、他にも拾えるだけの部品を拾ってきてほしいとの事。
「なるほど。…それでどうやって海に潜るの? 私、特に特別な準備はしていないけど」
「ふふん、もちろん方法は考えてありますよん!」
ハーブはそこで悪戯を思いついた子供のような笑みを浮かべた。
「こういう時こそ魔法を使うんだよ! 私はこんな風に水に潜らないといけない事が、この先少なからずあるだろう、という事を見越して、新しい魔法を開発したのだよ!」
鼻息荒く話すハーブ。
私は口の前に人差し指を立て、もう少し静かに話すよう促す。
ハーブはそれで再びムッとしたような表情を浮かべたが、一応声のトーンは落とした。
「その魔法っていうのが、自分達を魔法で作った泡で包んで、水の中で息ができるようにしようってもの! その名も“キューム・バブル”! ど? いい響きでしょ?」
とても嬉しそうに語るハーブ。
確かに体を、空気を含んだ割れない泡で包んでしまえば、水の中でも息ができるだろう。
「でも、泡で自分を包んだら水に潜れないんじゃないの?」
私がそう突っ込むとハーブの表情、ついでに動きが固まった。
急に立ち止まったハーブの横を邪魔そうに人々が通り抜けていく。
しかしいつもならそのまま暫く固まっているハーブだけれど、今日は違った。
「いや、大丈夫! きっと、泡で包んでも体が浮いちゃったりなんてしないよ! 泳ぐのに支障は出ない!」
胸を張るハーブ。
「本当?」
それでも信じられず私が聞くとハーブは元気一杯、こう答えてくれた。
「たぶん!」
:
海にちゃんと潜れるかどうか分からないという問題を抱えながらも、私達は海の上を進んでいた。
「いやぁ、お二人さん久しぶりじゃなぁ。最近はボクらに乗りに来るもんもなかなかおらんで、ヒマしとったんじゃわぁ」
少ししゃがれた声で喋ったのは今私達が乗っているもの。
実は今、私達はジークというモンスターの背中に乗って海上を移動しているのだ。
「そーだねぇ、久しぶりだよねぇ、こうして海を移動するのも。小さい頃はよくグルーモと一緒に海で遊んだもんだぁ」
ハーブがグルーモの背鰭にもたれてのんびりと言う。
今乗っているジークというモンスター、彼の名はグルーモ。
シアグラードの港にはこのジーク乗り場がある。
街の港には5体のジークがいて、それぞれ、グルーマ、グルーミ、グルーム、グルーメ、グルーモという名前がつけられているのだ。
なんとも安易なネーミングだが、その分覚えやすく、街の中で彼らの名を知らない者はいないとさえ言われている。
そしてその安易な名前をつけた当人は、さっきまでのんびりしていたというに今は何やらごそごそと、背負っていたリュックの中を漁っていた。
「ハーブ、何やってんの?」
「呪文のメモ」
私が聞くとあっさりとした返事が返ってきた。
「呪文?」
「そ。さっき言ったキュームバブルのね。メモ見なくても唱えられるけど、やっぱ見ながらの方が早いしさ」
「何でポケットとか取りやすい所に入れてないの? すぐ使う物なんでしょ?」
「だって濡れたら困るもん」
私は彼女の言い訳に肩を竦めた。
まぁ、いい、好きにすればいいではないか。
「ところで、お二人さん。今日は何しに行くん? 場所もなんか辺鄙なとこじゃし」
「あぁ、今日は海底に用があるんだよ」
「海底…?」
「そう、海底に部品拾いに」
「あぁ、そうか! 確か潜水艦かなんかが沈没したんじゃろ? 最近僕らもそこで潜水艦の引き上げ作業やったけぇ、よう覚えとら! その部品を拾いん行くゆーわけじゃな? よし、そんならはよ連れてったげらぁ!」
グルーモは目的の場所がはっきりしたからか、ぐんとスピードを上げた。
私は振り落とされないよう、しっかり鰭に掴まる。
グルーモは簡単に言えば巨大な魚のような見た目、一番似ている海の生物で言えば鯨だろうか。
鯨よりは小さめなのだけれど、背中に人が4,5人乗れる。
今は私とハーブの二人だけだから、場所は広々取れた。
そして、ジークの頭にはアンテナのような角が生えていて、それで仲間同士連絡を取るらしい。
街のジークはジーク同士だけでなく、港から発信される情報を受け取ったり、自分達の情報を送信する事ができて、普段は港から向かう場所の指示を受けて泳いでいる。
それと、グルーモはシアグラードの港にやってきて一番日が浅い。
今までどこにいたのかは知らないけれど、街にやって来た当初は訛りが強烈だった。
今もだいぶ訛っているが、まだマシになった方である。
始めは何を言っているのかも分からなかった。
こんな話し方だけれど、実際、年齢を人間に換算するとまだ若い方らしい。
そして彼グルーモと、彼の前にやってきたグルーミとグルームは、わがラムザが所持しているジークだ。
他のジーク達は街のものなのだが、はっきり言ってあまり区別はしていない。
お互い必要な時には好きに乗り回してもらって構わないという考え方だ。
「あった!」
不意にハーブの声が。
振り返るとグルーモの上に仁王立ちしているハーブの姿。
「ハーブ! 座っときなさい!」
私が言うとハーブはムッとした顔で私の方を向いた。
「まぁた、命令口調! 私と一つしか年変わんないんだからさ! 同い年みたいなもんじゃん?そんな上から目線はやめてくんない?」
ハーブにきっぱりとそう言われ私は続いて出てこようとした言葉を飲み込んだ。
次いで言おうとした言葉も命令口調で、ハーブの嫌う言葉遣いだったから。
「これから例の魔法を試してみるんだから! 落ちたって大丈夫!」
ハーブは私の顔にメモ用紙を突きつける。
「“キューム・バブル”の力、とくとご覧あれ!」
「ちょっと待っ…」
「ミヌツコリエ…」
私はハーブをどうにか落ち着かせようとしたものの、もう止まらなかった。
ハーブは既に呪文を唱え始めている。
ここで下手に止めたら、魔法が暴発する、思ってもみない魔法が勝手に発動するなど、事故が起きる事があるので、黙って見守る他ない。
そういえばキューム・バブルという魔法はハーブが作ったオリジナル魔法のようだけれど、名前も自分で付けたのだろうか?
グルーモの事から分かるようにハーブは何に対しても安易なネーミングしかできない。
たとえば私の精霊。
私は水を操る力を持った精霊を扱えるのだが、私の精霊は人型ではなく、ただの水の塊のように見える。
それをハーブがあまりにも可愛くない可愛くないと言うので、水の精霊に氷になってもらい、それにインクを垂らしてみた。
すると精霊はそのインクを顔のようにして表情を作ることに成功し、見た目も可愛らしい雪だるまのように変身したのである。
それを見たハーブは私の精霊に「ユッキー」という名前をつけた。
もう少し何かいい名前はないのかと思ったけれど、それは今に始まった事ではない。
今はここにいないのだが、ハーブは「ローピー族」の女性をいつも連れている。
その彼女との出会いはとても苦いものだった…が今は関係ない。
そのローピー族の彼女の名、それもハーブがつけたのだが、それがなんと「ハニー」である。
私もネーミングのセンスがあるとは言えないかもしれないが、さすがにハニーはないのではないか。
そのまますぎやしないか。
私はハーブがハニーと呼ぶ度に思う。
「ねぇ。…ねぇ、ルビー!」
私はハッと我に帰った。
見上げると私の顔を覗き込むハーブの顔。
「呪文は?」
「唱え終わったよ! そう言ってるのにそっちが無視するんじゃん!」
「あぁ、…ごめん」
時たま私は考え事等に夢中になると周りが見えなくなる事がある。
今もそんな感じだ。
「そんでさ! 魔法は大成功だよ!」
ハーブはさっきまでのムッとした顔とは打って変わり、満面の笑みを浮かべた。
見た目からすると、さっき呪文を唱えていた時からの変化はない。
きっとキューム・バブルという魔法の効果は水の中でないと確認できないようだ。
「そんじゃ、見てて!」
ハーブは私の隣にしゃがみ込み、結構なスピードで後ろへと流れていく海面に、手を突っ込んだ。
するとどうだろう。
水飛沫が上がっていてよくは見えなかったが、ハーブの手の周りに空気の層ができている!
そして、ハーブが海面から手を上げると、手は全く濡れていなかったのだ。
「どう? これってどう見ても成功でしょ? 力抜いても浮く感じはしなかったし、これなら水に入ってもぷかぷか浮かんだりなんてしないはずだよ!」
「ふ〜ん」
私は少し考え込む。
魔法はどうやら成功したようだ。
きちんと水中で息をしながら泳ぐ事ができそうである。
しかし「この魔法って一体どれくらいの間持続できるの?」と、聞いたところでハーブの動きが固まった。
いつものパターンである。
そして彼女の動きは暫く固まったまま。
どうやら持続時間に関する事は全く考えていなかったご様子。
「まぁ、どうにかなるか」
私が溜息混じりに言うと、瞬時にハーブの目に光が戻った。
「だよね!!」
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