とあるところに女が住んでいた。
その女は夜な夜な、砂を一粒、また一粒数えていた。
すると砂は瑠璃となって、女を愛していた男に巨万の富を与えた。
女はそれでも砂を数えることを止めはせず、巨万の富に狂っていく男を横目で見ながら、砂を瑠璃へと変えていった。
それがいずれ破滅を招くと知っているのに関わらず。分かっていたのにも関わらず。
やがて男が狂いに狂った後、男は女を棄てた。
家には女が残した瑠璃が大量に在る、だから女自体はもう要らないと。
女は発狂し、瑠璃でできた包丁で、男を刺した。
そして自らは貝となって、母なる海へと帰っていった。
すなるり
キサキの住む村には、そのような伝承があった。
瑠璃の乙女を怒らせてはならない。
瑠璃の乙女を悲しませてはならない。
瑠璃の乙女の逆鱗に触れたなら、近いうちに死が訪れる。
キサキはこの伝承をあまり信じてはいなかった。むしろ、信じるほうが可笑しいとさえ思っていた。
その日が訪れるまでは、キサキはそれはだれか物語を好む者が作った嘘の話だと思っていた。
その日キサキが家へ帰ると、兄が見慣れない女を連れてきていた。
兄はキサキを指して「こいつ俺の弟な」と女に語りかけていた。女は不思議な笑みをたたえながら、よろしくねとキサキに語りかけてきた。
キサキはその笑みに奇妙な感覚を覚え、素直に笑い返すことができなかった。その様子を見た兄は「ごめんな、こいつ人見知りするんだよ」と笑いながら女に語りかけていた。女はまだ笑っていた。笑顔以外の表情を見せることをしなかった。
翌日、キサキは奇妙な倦怠感を覚えて目を覚ました。きっと昨日の女とのやり取りのせいだろう、そうに違いないと自身に言い聞かせながら、キサキは布団からでた。自室のふすまを開けたキサキの目に飛び込んできた光景はとても奇妙なものだった。
「瑠璃。本物よ。貴方にあげる」
「本当か、ありがとう!」
女が手にいっぱいの瑠璃の砂を持って兄に語りかけていた。兄はその女からの贈り物がうれしいのか、満面の笑みで何度も女に礼を言っていた。ありがとう、ありがとうと。キサキはこの光景を見てある一つのことを思い出した。
瑠璃の乙女を怒らせてはならない。
瑠璃の乙女を悲しませてはならない。
瑠璃の乙女の逆鱗に触れたなら、近いうちに死が訪れる。
それはこの村の伝承だった。目の前の女は伝承でうたわれる瑠璃の乙女なのだろうか。
キサキは悪寒を覚えた。いつか兄は変わってしまうのだろうか?いつか女が瑠璃の乙女だと発覚するのだろうか?
震える唇で、キサキは言った。「兄さん、その人大切にしてあげなよ」と。
翌日、キサキは兄からこう言われた。「キサキ、この瑠璃の砂を売っておいで」と。「いいの?」とキサキが問うと、兄は笑顔でこう答えた。「いいんだよ、あいつもいいって言っていたからな」と。その笑顔に嘘はない。そう確信したキサキは「じゃあ売って来るよ」と言って、兄が差し出した瑠璃の砂を受け取った。
そしてキサキは兄に問いかけた。「ところであの女(ひと)は?」
「あいつは疲れているから寝る、ってさ」兄はそう言ってきびすを返した。「さぁ、あいつのために朝飯でもこしらえるか」といいながら。
兄は本当に、あの女に惚れているのか。キサキは子供ながらに確信を覚えた。そうなのだったら、昨日自分が言った発言を兄はきっと守ってくれることだろう。自分のこの思いは、祈りにも似ている気がする。そう思いながら、キサキは家を出た。瑠璃の砂を売りに行くために。
それから、何日かがたった。兄はあいかわらずあの女を大事に、大事にしていた。キサキは毎日のように、女が渡す瑠璃を売りに町まで出かけていた。奇妙だ、とキサキは思っていた。あの女は伝承の瑠璃の乙女なのだろうと、キサキは思うのだが、その証拠がどこにもない。
むしろ、見つけられないと言った方が正しいかもしれない。
女はキサキの知らないところで、瑠璃を作っては――用意しては、のほうが正しいとも言えるかもしれないが――キサキの家へと持ってきている。キサキはその行為を知ろうとも知りたいとも思わなかった。瑠璃の乙女の伝承は禁忌を伝える伝承だから駄目なんだ、と自身に言い聞かせているからだ。
なぜ、伝承を信じもしない自分がここまで思ってしまうようになったのか。きっと兄が女を連れてきたときからだ、とキサキは再度自分に言い聞かせた。
そうして、その日の瑠璃を売り終えたキサキは金を丁寧に包み込んで、その場を後にしようとした。と、キサキは自身の視界に見慣れた何かが映りこむのを確認した。父と、兄と見慣れない女だ。父と兄は口論しているようで、女はその口喧嘩を必死で止めている様子だった。
よく聞き耳を立てて聞いてみると、「俺はあの人と結婚するんだ!」という兄の声と「そんなこと許すわけないだろう!」と叫ぶ父の声が聞こえてきた。巻き込まれないうちに、帰ろう。そう思ったキサキは兄たちのほうを向くことなく、その場から駆け出した。
なんでこうなっているのか?兄が結婚したいという相手はやはりあの瑠璃の女なのか?なぜ父はそれに反対するのか?そして父が連れてきたと思われる見慣れない女はだれなのか?さまざまな疑問がキサキの中で暴れまわる。そして自分はどうすればいいのか?最後にこの疑問を得たとき、キサキは家へと帰り着いていた。迎えに出ていたのは例の瑠璃の女だった。
「おかえりなさい、キサキくん。どうかしたの?」
「……ねぇ、お姉さん」
「兄さんのこと愛してる?」キサキは自分でもなんでこんなことを問うのだろう、と思いながら口を開いていた。どうかしてしまっている、そのことは自分でもよくわかった。自分で自分がおかしなことになっていると、よくわかっていた。
「愛してるわ。でもそれがどうかしたの?」
「……なんでもない、なんでもないよ。兄さんのこと大事にしてあげてね」
自分でも本当に何を言っているのか解らない。キサキはそう思いながら、自分の部屋へと足を早めた。後ろのほうで女が不思議なものを見ているかのような口調で「キサキくん?」と問いかけているのだが、それにキサキは気づかなかった。
その夜、キサキは妙な夢を見た。
瑠璃に埋もれて、兄と女が安らかな表情で眠っている、夢を。なぜこんな夢を見るのか、キサキはよくわからなかった。夢の中の兄と女はぴくりとも動かなかった――まるで眠っているかのように、死んでいた。夢の中のキサキはその様子をただただ呆然と見ているだけだった。夢だとわかっているのに、これは夢なのか、それともと自問自答している自分に気がついた。正夢じゃありませんようにと願う自分がいることに気づき、キサキは目を覚ました。
全身に嫌な汗をかいていることに気づき、キサキは一つため息をついた。
(夢だよ、あんなの。兄さんがあの人と心中するなんて)
そう自分に言い聞かせながら、キサキは部屋を出た。きっとあの見慣れない女は父が連れてきた兄の婚約者だったのだ。そして、兄はその女との結婚ではなく、例の瑠璃の女との結婚を望んだ。父はそれに反対して、兄と口論になった――昨日見たのはそういう光景だったのだろう。そうとも言い聞かせながら、キサキは兄の部屋へと向かっていった。嫌な予感がする、全身に悪寒が走る。的中していませんように、と願いながら、キサキは兄の部屋の扉を開けた。
そこに、兄はいなかった。
残されていたのは一通の手紙だけだった。
あの瑠璃の乙女と、駆け落ちするといった内容の。
キサキはそれを見て、ある一つのことを思い出した。瑠璃の乙女の伝承に関する、一つのことを。
瑠璃の乙女を怒らせてはならない。
瑠璃の乙女を悲しませてはならない。
瑠璃の乙女の逆鱗に触れたなら、近いうちに死が訪れる。
瑠璃の乙女に魅入られたなら、決して幸せにはなれない。
きっと、兄はこの行為によって幸せになれると思っているのだろう。だが、伝承では決して幸せにはなれないといわれているのだ。
それでも、彼は一時の幸せを手に入れた。それで満足しているのだ。
キサキには、兄の考えていることなどまったくわからない。ただ、解るのは、後に兄に待ち受けるのは不幸のみであるということだけだった。
「あんたはバカだよ、兄さん」
キサキはそう、手紙に語りかけた。
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