夕焼けの空に舞う者たち
プロローグ
昔々……人間たちは戦争ばかりしていました。
ある日、神様を怒らせてしまった人間たちは、罰を受けました。
罰を受けた人間たち――。
人間たちはすぐに、また新しい戦争を始めました。
彼らは自分たちが何故、罰を受けたのか理解していました。
でも、彼らはその事実を受け入れることができませんでした。
長く辛い戦いが終わる頃には、もはや勝者も敗者もありませんでした。
悲劇を目の当たりにした人間たちは戦いをやめようと考えました。
そこで彼らは、子供同士を殺し合わせることでお互いのバランスを取ろうと考えました。
世界に一応の平和が訪れました。
子供たちの流血によって、危ういバランスの上に人間たちは平和を手に入れました。
世界がそんな形に歪み切ってから、もう半世紀――。
第一章
1 統一歴四十三年(一九四三年) 八月二十三日 学園島東部戦線南部管区 ヴォルクグラード人民学園魔法軍空中巡洋艦「クロンシュタット」 艦橋
いつから自分は出来の悪いSF小説の登場人物になったのだろうか?
空中巡洋艦『クロンシュタット』の艦橋に立つ少女は何度繰り返したかもわからない疑問を心の中で提起した。
「答えは出ない……か」
マイコ・パステルナークは艶やかな髪を靡かせて自らの椅子に背を預けた。
濃紺の髪の間から、鋭さを持った端正な横顔が覗く。切れ長の目がやや威圧的な印象を周囲に与え、瞳は琥珀がそのまま埋め込まれたかのような黄金色をしていた。唇はうっすらとした桃色の瑞々しさを感じさせる。
茶色い軍服で包まれた体には起伏こそ多くは無かったが、無駄が無く引き締まっていた。身長は百七十cm以上あり、同年代の女性に比べると大きい部類に入る。
マイコの周囲を漂う空気は、十七歳という年齢と不釣合いなほどの緊張感に満ちていた。
「どうにも夏の夕暮れは好かん。何故だと言われれば回答に困ってしまうがな」
「中尉殿はお若いのに随分と詩的な事を仰いますな」
傍らに立つ艦長がマイコに視線を向ける。
親と子ほどの年の離れたこの船――といっても飛行船だが――の艦長が、マイコは少し苦手だった。
「つまらない独り言だ。気にするな」
マイコは淡々と告げる。
その一方で、十七歳の自分が遥かに年上の人間に上官として接することに気まずさを感じていた。
十代の若者が年上の人間に溜め口を聞く事は精神の太さが要求されるが、マイコはそこまで高い精神力を有している自覚は無い。
「中尉、カウフマン少尉が着艦します」
マイコと艦長のいる位置より下にある管制席に座ったオペレーターのうち一人が報告する。
空中巡洋艦――と言えば聞こえは良いが、要するに飛行船である。巨大な気嚢の下にある艦橋で報告を行ったり、舵を取るクルー達は皆、十六〜十八歳の少年たちだ。
ヴォルクグラード人民学園防衛委員会。それがマイコや年若いクルー達の所属する組織の名称だ。
かつてバルト海と呼ばれた海の上に浮かぶ学園島。そこを舞台にして私立アヴィリオン学園とヴォルクグラード人民学園の戦争が続いていた。そこで戦争の主役となる兵士は、両学園の生徒達だった。
「わかった。帰投次第、ブリッジに来るよう伝えてくれ」
「了解しました。同志魔法将校殿!」
オペレーターがハキハキとした口調で返答する。
魔法将校。
ヴォルクグラード軍の最高戦力である魔道兵は総じてそう呼ばれていた。
落下した隕石群は世界に大いなる災いをもたらしたが、その中には宇宙からの資源も残されていた。主に旧ユーラシア大陸に落下した隕石の中に含まれていた『マナ・クリスタル』は人間の体に埋め込まれることで、常人ならざる力を被験者に与えた。ただ、埋め込まれたマナ・クリスタルからエネルギーを取り出し、ローブという強化外骨格を作り出せるのは女性に限られている――それも十代半ばから後半までという、ごく限られた範囲だ。
「そうだ、機関部の修理はまだか?」
「ハッ。あと一時間はかかるとのことです!」
オペレーターの返答を受けたマイコは艦長を見る。
その視線に気付いた艦長は口を開いた。
「あまり無理はさせない方が良いでしょう。急がせてミスがあると困ります」
「わかった。私も同感だ」
マイコは修理班には急がず、だが的確に修理を進めるようオペレーターに伝えさせた。
こういうところはマイコもまだまだ素人だ。魔道兵は魔法を使って戦うことはできても、それ以外の能力は平均的である。
前線での戦闘と艦長としての責務を百%両立させられる人間はそう多くない。
マイコは出来ない方の人間だった。
「しかし、まだまだ空中艦隊思想の実現には程遠い。艦長はどう思う?」
だからマイコは、わからないことや不可解なことは積極的に聞くことにしていた。
聞くは一瞬の恥、聞かぬは一生の恥と言うではないか。
「実用を急ぎ過ぎています。まだ魔道兵の使い方すら基礎が出来上がっていないというのに」
艦長の言葉にマイコは同意する。
ヴォルクグラード軍はこの魔道兵を実用化することで学園島における軍事的なアドバンテージを有することができていたが、その運用方法にはまだまだ荒削りな部分が多い。しかもマナ・クリスタルは量産が不可能なため魔道兵の数は少なく、また不足していた。
そんなことを考えているうちに、帰還したエレナ・カウフマンが艦橋にやってきた。
マイコは彼女の姿を見つけたオペレーターたちが、一瞬だけ嬉しそうな表情を浮かべたような気がした。
「エレナ・カウフマン少尉。只今哨戒任務より帰投しました」
マイコの前で敬礼する少女の、純白の頬が僅かに赤みを帯びる。短く纏められた金髪に縁取られた輪郭は細い。少々垂れ気味の、深い青をした双眸は大きい。胸元は特に突出しているわけでもなかったが、軍服に包まれたラインは明らかにマイコよりも豊満だった。
「異常はありませんでした」
そう言って緩む柔和な顔立ちには、常に嫌味の無い微笑が浮かんでいる。マイコはその笑顔が大好きだった。
「うむ。御苦労だった」
そう言ってエレナを労ったマイコは立ち上がり、艦長と共に敬礼した。
エレナはマイコの副官を務める少尉で、彼女もまた魔道兵だ。
能力は自分の方が上だとマイコは自負しているが、成績――特に学科ではエレナの足元にも及ぶことができないのが現状だ。期末考査の後に張り出される成績一覧の中で、エレナとマイコの間にはモーゼが開いたような大きな空白があった。
「御苦労。ストーイキイ要塞分校まで仮眠を取れ。疲れているだろうからな」
「ご心配には及びません、パステルナーク中尉殿。上官を放っておいて自分だけ寝ることは、副官のすることではありません」
椅子の腰掛けたマイコは、自分の気配りをやんわりと断ったエレナの微笑みに暖かいものを感じる。
母性とでも言うのだろうか?
具体的に説明することはできなかったが、マイコはエレナが傍らにいると不思議と安心感を持つことができた。
「やれやれ。倒れても知らんぞ」
「ご心配なく。中尉よりは頑丈にできているつもりです」
エレナはマイコの椅子の傍らに立つ。
「ところで少尉、夏の夕暮れというものは気が滅入るものだな。そうは思わんか?」
「鉛色の空よりは見ていて気持ちの良いものだとは思います。どこか叙情的なものを感じないわけでもありません」
「うーむ……イマイチだ。求めていた回答ではないな」
「できれば模範解答をお聞きしたいものです。中尉殿」
「どうにも終末的で気が滅入る。縁起が良くない」
艦橋から見える夏の夕日は美しいと言えば美しい。
だがマイコには、それが血で彩られた輝きにしか見えないのだ。
長い間戦場に身を置いているうちに、マイコは元々歪んでいた自分の美的センスが更に奇形化したのではないかと疑ってしまう。
「夜は夜で嫌いだ。なぁエレナ」
返事が無い。
「エレナ?」
返事の代わりに、衣服の擦れる音が聞こえてきた。
マイコが振り向くと、エレナが床に跪いていた。
慌てて席を立ち、駆け寄ろうとするが、エレナはそれを制止する。
「すみません。少し……義眼の調子がおかしいようです」
エレナの蒼い双眸の左側は本当の眼ではない。
戦場で失われた後、本来あるべき箇所には義眼がある。
マイコが対応に困っていると、艦長が割り込んできた。
「それだけではないだろう。疲労が溜まっているんだ。休める時間に、休んでおきなさい」
「い、いえ……」
艦長に答えながらも、エレナの視線はマイコに向けられていた。
「カウフマン少尉、一時間の仮眠を取ります」
マイコが小さく頷くと、エレナはすくっと立ち上がり敬礼した。
「一人で大丈夫かね? 軍医を呼ぼうか」
「いいえ。自分一人にそこまでして頂く必要はありません」
気を遣う艦長だったが、エレナはそれを丁重に断って艦橋を後にした。
その後姿を見ながら、マイコは強い挫折感を覚える。
「駄目な指揮官だな……私は」
副官の面倒すら満足に見られない指揮官など、無能以外の何物でもない。
少なくともマイコはそう思っていたし、この艦の戦力はマイコとエレナだけだから、その中でも年長者であるマイコにはそれだけの力量が要求されているのだ。
しかし現実問題としてマイコは要求されている力量の持ち主では無かった。
「ご自分で自覚し、なおかつ現状を変える努力を中尉はしているのです。そう自分を責めることはありません」
艦長はの気遣いの言葉も、マイコには叱責と同等に感じられた。
叱られる――いや、非難されて当然の行為をマイコは行った。
「出過ぎたことかもしれませんが、カウフマン少尉の特別扱いはやめることです。いずれ中尉にとってはカウフマン少尉にとっても、不幸な結末を迎えることにもなりかねません。公私の混同は軍隊では不要です」
マイコは艦長の、その言葉に対する返答だけは明言を避けた。
マイコとエレナは副官同士だ。
だが、それ以上に二人は『同年、同月、同日に生まれることを得ずとも、願わくば同年、同月、同日に死せん事を』と誓った仲なのだ。
それはマイコをある時には救い、またある時には苦しめている。
今は、後者だった。
2 統一歴四十三年(一九四三年) 八月二十三日 ヴォルクグラード人民学園南部管区 ストーイキイ要塞 職員室
学園島におけるアヴィリオン学園とヴォルクグラード軍が戦火を交える戦線は『東部戦線』と呼称されている。東部戦線には南部管区、北部管区、中央管区の三つの管区が存在し、いつ終わるとも知れない泥沼化した戦いは連日続いていた。
その中でも南部管区の防衛を担当する最重要拠点がストーイキイ――『不屈』と称された要塞だ。要塞だけではなく校舎としての昨日を果たすこの場所は、文字通りヴォルクグラード軍の砦と呼ぶに相応しい場所だった。
幾度と無く敵の襲来を跳ね除けた要塞の内部では軍務と戦争、授業と日常という、相反する二つの流れが交錯している。時代と場所が変わっても、『生徒』と『教師』の間柄は変わらない。それは学生が軍人の能力を併せ持ち、教師が指揮官としての裁量を求められるようになっても同じだ。
「この成績では進級など夢のまた夢だな」
デミトリ・アレンスキは職員室の椅子に腰掛け、デスクに肘を突いている。
「いくら軍務を兼ねる身分とは言え本職は学生だ。学生の本分は勉強だ。単位を取得し、ある程度の点数を取らないと進級することはできない」
そう言い放つ彼は、ヴォルクグラード人民学園の教務部に身を置いている。
年齢は四十代の初頭。
髪に白髪が目立ち始めていること以外は、依然として若さを保ったままの姿だ。
「しかし少将殿……」
「今は『先生』だぞ」
「し、失礼しました! アレンスキ先生!」
茶色を基調にした学生服を着た生徒は身を強張らせる。
生徒が軍の主力であるヴォルクグラード人民学園において、教員の多くは軍のOBや従軍経験者で構成されていた。
デミトリの場合も例外ではなく軍人だったが、彼は元々教師だった人間が徴兵によって入隊、軍務に就いた後、教師であった経験を買われてヴォルクグラードに赴任した過去を持っている。
教員の肩書きを持って在籍する軍人出身の人間には軍司令官や空軍のベテランパイロットも少なくない。
デミトリは言わばこの要塞の主でもある。少将として要塞の指揮を任されているのだから。
「軍で君は優秀な士官かもしれない。だがいくら軍務で好成績を残しても、軍務は軍務、学業は学業なのだ」
「留年……ということになるのでしょうか?」
「今のままではな。成績不振者は生徒会からの呼び出しを受けることになる。最悪の場合、鉄条網の中で木を数える仕事が待っているかもしれんな」
デミトリは大尉――男子生徒に揺さぶりをかけた。
無論、留年したぐらいで辺境送りになるほどヴォルクグラードのやり方は厳しくは無い。
だが、時折生徒の誰かが忽然と消えるという都市伝説が流布されている現況では、デミトリの発言はある程度の説得力を持っていた。その証拠に男子生徒は脂汗を浮かべ、しどろもどろに消え入りそうな声を出している。
多分、今の彼に拳銃を渡したら錯乱して乱射するか自分の頭を撃ち抜くだろう。
(そろそろいいか……)
デミトリは机上の出席簿を取る。
「しかし、私の手元にある君の成績表と出席表には大した問題点は見当たらない。成績は中の下、欠席もそこそこだ。少なくとも私の手元にある書類ではそうだ」
「それじゃあ……」
男子生徒の顔が急に明るくなった。
「任務も大変だろうと思うが、学業もおろそかにしないように。行って良し」
「あ、ありがとうございます! 失礼します!」
男子生徒は小さく頭を下げた後、教員室を出て行った。
「失礼します。アレンスキ少将殿はいらっしゃいますか?」
自分は甘い奴だなとデミトリが自嘲していると、出て行った生徒とすれ違うようにして、今度は軍服を着た生徒が入ってきた。
デミトリは意識を引き締めた。今度は教師ではなく、軍人として接しなければならない。
「何かね?」
デミトリが座ったまま言うと、生徒が近付いてくる。
生徒の名前を知っていた。
「本校より連絡です」
セルゲイ・ベリーエフ――デミトリの副官の中尉だ。
十八歳。
まだ年若い士官はデミトリの前で敬礼すると、一枚の命令書を差し出す。
「嗚呼、見るんじゃなかった」
差し出された命令書を受け取って中を見たデミトリは、小さく溜め息を吐いた。
「少将殿、如何なさいました? どこかお加減でも……」
「いいや。少し悲しいだけだ」
命令書に書かれていたことの要約はこうだ。
ストーイキイ要塞の指揮官として、アヴィリオンの攻勢を阻止せよ、と。
「来週は娘の誕生日なんだ。プレゼントを買って帰ると約束したのに……」
デミトリは項垂れた。
彼の机の脇には、荷物の山が置かれ、机上も整理整頓されていつでも離れられるようにしてあった。
「増援は魔道兵だ。たったの二人だよ、二人」
「それだけですか?」
「それだけだ。一台の戦車も、一人の歩兵の増援もなし」
「本校は要塞の防衛部隊だけで守りきれるとお思いなのでしょう。しかし魔道兵がたったの二人だけとは……」
ベリーエフもデミトリも、揃って険しい顔になる。
「いつ暴走するかもわからない危険な味方は敵よりも恐ろしい。できることならば来ないでくれれば良いのだが」
「今のうちに手を打っておきますか?」
「できるかね?」
「やらないよりはマシ、その程度ですけれども」
「実行してくれ。心配事を減らせるチャンスは有効活用したい」
「わかりました。失礼します」
魔道兵をデミトリは嫌っていた。大体、十代の少女が戦場の帰趨を決するなど馬鹿馬鹿しいことこの上ないではないか。確かに魔道兵が戦闘機の機動性と戦車の火力及び装甲を共有した強力は『兵器』であることは認めざるを得なかったが、同じ年頃の娘を持つデミトリとしてはどうにも心に引っ掛かるものがあったし、何より大した努力もせずに強大な力を与えられた人間がどうなるか、歴史の教科書を五分でも見ればわかることだ。
あと半世紀ほどすれば、若年層向けに書かれた小説の題材に選ばれるかもしれないが――。
「はぁ……またパパは、お前達を裏切ってしまうことになるよ」
いつもはデミトリに勇気とモチベーションを与えてくれる、立てかけられた写真の中にある娘たちの笑顔が残酷に感じられた。
デミトリは写真を正視することができず、寂しげに俯いた。
3 統一歴四十三年(一九四三年) 八月二十三日 学園島東部戦線南部管区 ヴォルクグラード人民学園魔法軍空中巡洋艦「クロンシュタット」 マイコ・パステルナークの自室
将校ともなると、複数人でも部屋ではなく個室やペアでの部屋を割り当てられるものだが、特に魔道兵となるとその待遇は半ば神格化されたものに近くなる。
ヴォルクグラード軍という組織では、魔道兵に対しては破格の待遇が与えられるのだ。
昇進は通常の兵士――生徒に比べて二、三倍は早く、最前線でも暖かい食事やシャワーを浴びるだけの環境が整えられるし、ウォッカやワインなども黙認という形で持ち込みや飲酒が許可されていた。親魔道兵派の部隊になると、命令の拒否権まで与えられるという。
勿論、それを良しとせず前線で泥に塗れ、兵士たちと塹壕で寝食を共にする魔道兵も多い。
マイコ・パステルナークもまたそれを良しとはしていない部類ではあったが、その恩恵を十二分に受けていた。一度マイコが自分は倉庫で寝ると個室での生活を拒否したのだが、兵士たちは訳の分からない力がいつ爆発するかわからない(と思っている)魔道兵が隣のハンモックに寝るのが耐えられなかったらしく、半ば懇願する形で個室を進めた。結局、マイコは最終的に折れてしまった。
「やれやれ。こいつは手強いな」
クロンシュタットの艦内でも艦長に次ぐ良い環境で、マイコは制服に着替えて机に向かっていた。
その眼前には担任が善意でよこしてくれたプリントの山が積まれ、計算式だらけで白い面積の方が少ないノートが見開きになっている。
マイコは軍人であると同時に学生でもある。やるべき事をやらなければ、部下に対して示しがつかない上に下手をすれば降格処分の憂き目に遭う場合もあった。
「隕石の落下、か……」
開かれた教科書の世界地図は、ある時期を境に全く形を変えていた。
朝鮮半島や豪州は水没、中国の大部分、北米大陸にも巨大なクレーターが広がり、海の占める割合が大きくなっていた。
隕石落下の後――世界は変わってしまったのだ。
だが、国家の数が減っても、学生の成すべきこと減るものでは無かった。逆に日進月歩で増大化していると言って良い。
マイコは何時になっても終わらない課題の山に頭を抱えていた。
(天は二物をなんとやら……」
勉強とスポーツを両立させることのできる人間は多いが、戦争と学問を両立させられる人間はどれほどの数がいるかマイコにはわからない。
確信を持ち、無い胸を張って言えるただ一人の人物がいるとするならば、それは――。
「どこか、わからないところでもありましたか?」
シャワー室から出てきたエレナ・カウフマンが無垢な微笑みを向けてきた。
「ああ、ここの問題なんだが……」
マイコの言葉は途中で途切れてしまった。バスローブを纏ったエレナは女性であるマイコが見ても、素直に美しいと羨望できる。頬はもちろん、僅かに覗く肌もほんのりと桜色に染まっている。雫を垂らし、湿り気が残った金髪は艶やかさを更に増していた。
エレナのこういった姿を見るたび、もし自分が男性だったら……とても自制心を保ってはいられないとマイコは真剣に考えさせられる。
「それもあるんだが、少し考え事をしていた」
「考え事……ですか?」
エレナはバスローブを脱ぎ捨て、ベッドの上に放り出す。
一瞬だけ肉感的な肢体が視界に入り、マイコは赤くなって反射的に窓の外を見た。もう何度も見てはいたが、見れば見るほどマイコは女性としての形容しがたい敗北感に襲われる。自他共に『木の板』と形容されるマイコの胸と男性達の憧れと士気高揚に著しい貢献を果たす『喜望峰』とでは、勝敗など比べようもあるまい。
マイコは顔の火照りを早く沈めようと窓の外を見た。一面の黒に、散りばめられたきらやかな星々が輝いている。
「隕石が落ちていなければ、また違った世界になっていただろうな」
マイコは呟く。
制服に袖を通しながら話を聞いていたエレナの表情に曇りが見えたことを、マイコは横目で見逃さなかった。
「なっていたでしょうね。今より良かったのか悪かったのか、それは分かりかねますが……」
エレナは明確な回答を意図的に避けているように感じた。
それは答えを知った上でのぼやかした回答なのか、それとも本当に答えを出すことができなかったのか?
マイコは前者であると信じた。
確証は無かった。単に信じようと思っただけだ。
「しかし中尉殿。落ちていなかったら、アヴィリオンとヴォルクグラード、二つの学園が二つの勢力の代理戦争を行い、子供同士で殺しあうことは無かったでしょう。それは確かです」
「わからんぞ。もっと悪い結末が待っていたかもしれないぞ」
マイコは冗談めいた口調で言ったが、案外有り得ない話ではなかった。
現在、旧欧州側が統一連合政府を、旧ソ連側がレニングラード条約機構が対立構造を深めている。
対立と言っても、両国に戦争をするだけの資源も余力も無く、今は国力の再編と慢性的な内戦への対処に追われていた。
「全面戦争でお互いが破滅することを防ぐために学園同士を戦わせるとは。寒い時代とは思わんか?」
「どうでしょうか?」
エレナはマイコの言葉に返答することはなかった。
人懐っこい笑顔をエレナは浮かべるが、その真意を読み取ることはできない。
「どうぞ」
冷蔵庫の扉を開けたエレナが冷えたサイダーを二本取り出し、その内の一本をマイコに渡す。
(聞いても不愉快になるだけだな)
マイコは自己完結しておき、サイダーの蓋を開けて口をつけた。すぐに口内をチクチクと刺すような感覚と、わざとらしい癖に味わい深い甘みが広がる。
「いつの時代も英雄が現れては乱世を統一した。この時代にも出ては来てくれないだろうか」
何を言っているんだと自分でも噴き出してしまいそうな話だが、こんなことを話せるのは艦内でもエレナぐらいしかいない。
「待っているばかりでは物事は解決しません。それよりも良い方法があります」
それはなんだとマイコが問うと、パチンとエレナは両手を合わせた。
「中尉殿が英雄となって統一を果たせば良いのです! ね、簡単でしょう?」
力説するエレナにマイコは返答に困ってしまう。
果たしてエレナは冗談で言っているのか? それとも本心で言っているのか?
「エレナ、私は劉備でも曹操でも無いのだぞ。買い被り過ぎだ」
マイコは答えることができず、失笑に限り無く近い苦笑を浮かべることしかできなかった。
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