第1幕 1場A 岩場
静寂と暗闇。決して無音ではない。雲の隙間から満月がのぞくと、海烏の数え歌が響き渡る。
海烏「ひとつ ひとよの ひめごとに
ふたつ ふたりの つみびとが
みっつ みじかい ゆめをみた
よっつ このよの はてまでも
いつつ いっしょに いきるなど
むっつ むなしき ねがいねと
ななつ なみだも ながさずに
やっつ やどりし ややこつれ
ここのつ 今宵の 赤人魚
とおで 吐息に 消えていく」
静寂に波音が重なり、しだいに激しい調子がはじまる。月が煌々と輝く岩場。何人かの人魚が、赤い人魚を追い詰めようとしている。
海烏「どどどどどどど
どどどどどどど
ずむずむずむずむ
どどどどどどど
波浪波濤の飛沫をあげて
深紅の鱗が夜陰に逃げる
狂濤怒濤の怒りの黒波
人魚追い詰め満月夜
どう どう どどう
ごう ごう ごごう
どう どう どどう
どう どう どどう
ここは北海寂々の海
人魚の群れがあったとさ
漁火沈めて益荒男喰らい
玉肌守ると人の言う
どどどどどどど
どどどどどどど
ずむずむずむずむ
どどどどどどど
金波銀波は打ち砕かれて
逆巻き滾る麦秋の海
千波万波の激する因は
真中におります赤人魚
逆鱗囲むは十重二十重
絹の黒髪むんずと攫まれ
緋色の魚鱗は掻きむしられる
両腕奪われ首締められて
終に堪忍手は後ろ
睨む瞳は深紅の眼
故に呼ばれる名は赤目
赤目と呼ばれた人魚、幾人もの人魚達に押さえつけられ、引きずりまわされる。顔は、乱れた髪でよく見ることができない。人魚達は一旦舞台上から去る。
同時に、奥に薄らと岩場が見えてくる。中央の大きな岩上には、老いた白い人魚と、黒く、体の大きな人魚がいる。
矢来「ましろ様、ご覧ください。満月が、清水山の峠を越えようとしております。港を見れば、漁火がゆらゆら灯り始めました。間もなく時間でございます。もう待ちきれません。どうぞお命じください。ここにおります人魚全員で、赤目を連れてこいと。」
ましろ「矢来。貴方は一刻も前からここに来て、そればかり言っているね。そんなに急くな。赤目は来ると言ったのだ。今日の狩りには今宵の満月に誓って必ず来ると。私は待つのは辛くはない。あの子を信じているからね。お前みたいに疑い深い者を見ているほうが辛いね。そんなに心配ばかりしていたら、その美しい髪が抜け落ちるぞ。まあ、待とう。約束にはまだ時間がある。それに、あの子の親友達を迎えにやったではないか。大丈夫、ちゃんと連れてくる。」
矢来「ましろ様、私は残念ながら、あの子が素直にここに来るとは思えません。そう感じているのは私だけではないでしょう。それなのに、何故皆は黙っているのだ。先刻から騒ぐのは私ばかり。そんなにあの娘を信じているのか。たかだか十七にもならない赤目の約束ごとだぞ。気まぐれでいつ変わるかもしれない。月をご覧なさいな。輪郭のはっきりしない、海に映ったようなおぼろな月。あの子の誓った満月は、こんなにも不安・・・。」
雪待「一刻も前からここにいたとは、さすが心配性の矢来だね。貴方のように、心のうちを正直に話してみると、私だって不安さ。ただの狩りならともかく、今回は特別だからね。半年ぶりに、赤目が来るのだから。でも本当に来るかはわからない。矢来、私はね、その心のもやを口に出してしまうのが怖いだけさ。音にすると、それが現実になってしまう様な気がするのでね。貴方みたいに言葉にする勇気が無いだけ。一生懸命考えないようにしているだけ。大丈夫、焦っているのは貴方だけではないよ。その証拠に、誰一人、いつもの他愛無い話さえ、し始めるものはいないのだから。だから余計に考えてしまう。心の空いた所で、『もし』をね。こうしている私だって,血が上ってくるのがわかるよ。満月に引かれているせいだけじゃあなく『もし』がこころを膨らませていくのが。」
矢来「そうさ。何故みんな黙っているのだ。黙って私の喚きばかり聞いて,内心あざ笑っているのだろう。醜く騒いで大人げないと。いくらすましていても、中身はがたがたさ。ほら、またお前。波の音にびくついて、きょろきょろあたりを眺め回すだけで,何か言ったらどうだい。」
ましろ「そろそろ黙りなさい、矢来。怒りは本当に約束が破られたときに取っておく事だね。」
若い人魚1「しかし、ましろ様。矢来様のおっしゃることも、ごもっともだと思うのです。」
矢来「ようやくでてきたよ。ほら、言って見なさい。勇気を出して、雪待の言う、『もし』を音にして見なさい。」
若い人魚1「もしも、もしもでございますよ・・・」
矢来「聞こえないわよ。波の音で何にも。」
ましろ「矢来!」
若い人魚1「もしも、今日、赤目がこなかったら、私たちの群れはどうなってしまうのでしょうか。もう半年も待ったのです。今日狩りにいく事ができなかったら、その時はどうしたらよいのでしょうか。」
若い人魚2「半年前,赤目が穴蔵の奥深くに姿を消してから,はじめの二月は我慢する事ができました。しかし、次の満月も、その次の満月も赤目は来ない。三度、四度を流れるたびに、恐ろしい結末ばかりがこの心をよぎるようになったのです。」
雪待「恐ろしい結末ね。そうさ、恐ろしい。
人間を食べなくなって半年、貴方たち若い人魚と違って,私や矢来は、確実に変化が出てきてしまったからね。貴方たちも私たちをみるのが恐ろしいだろう。人間を食べられなかったこの半年、急速に老いが進んでしまった。漆黒だった髪も、もう半分以上白髪がまじってしまった。目の回りにも、深い深いしわが刻まれるようになった。」
矢来「そうさ雪待。お前の言う『もし』を口に出さなくても、本当の事は起きてしまうのさ。私たちがそうだ。そうだ、こう言おうか。『あかめはかならずきて、わたしたちとともにかりをすることでしょう。そうしてわたしたちはしあわせになるでしょう』。どう、素敵でしょう。不安はとれるでしょう。」
ましろ「矢来、だまりなさい。」
若い人魚3「赤目がたった一人の赤人魚で無ければ、こんな苦しむ事は無かったのに。」
雪待「ましろ様。私たちは赤目に全てをかけすぎたのでございましょうか。群れの命をあの子に委ねて、知らぬ間に追いつめていたのでしょうか。」
ましろ「わからない。あの子の口から聞くまでは。わたしは何も言うまいよ。」
若い人魚3「赤目は、穴蔵にもぐってから何も話してはくれなかったのです。ただただ来ないで、近寄らないでというばかり。」
雪待「そうだね、私が行っても、矢来が行っても無駄だった。」
若い人魚4「ましろ様。私たちは本当に、どうしたらよいのでしょうか。ご覧ください。漁師たちの漁火があんなにも出ている。しかし、赤目の力無しには、私たちは無力です。この半月、お腹がすいた時は、魚や海藻を食べてお腹を満たしてきました。でも、人間が食べられないせいで、心のそこは空腹でした。もし、これ以上人間を食べることができなかったら、私たちはどうなってしまうのでしょうか。急激に老いていくまま漂うのでしょうか。私は水面を見るのが恐ろしい。明日の太陽を見るのが怖い。夜が終わるのが怖い。」
若い人魚5「食べたい、もう我慢ができません。あの赤い血が吸いたい。」
若い人魚3「ましろ様。もし今日赤目が来なかったのなら,もう待てませぬ。私たちだけで狩りを行いましょう。」
ましろ「それだけは駄目だ。赤目に霞を呼んでもらわねば,私たちは人間にとても敵わない。銛で突き殺されて終わりだ。皆落ち着いて、赤目を待つのだ。」
矢来「真白様、きちんと先を考えた方がよろしくはありませんか。私たちは、赤目に霞を呼んでもらい,舟を惑わし,狙いを定めた一艘を、どぶんと引きずり込むので精一杯。霞があっても、皆の力を出し切っても、それが精一杯なのでございます。その赤目が来なければ、雪待のいう『もし』が来る。そう、この群れは死ぬのです。急速に老いさらばえて、この群れは終わるのです。皆も気がついているのに、それを言わないのは、現実をみる勇気がないだけでしょう。『もし』の行き着く所を考えたくないから、言葉にできないだけでしょう。あなた方は、騒ぐ私を見下しているかもしれないけれど、まっすぐ『もし』をみているのは私だけだ。臆病者めが。なにがどうなるのでしょうか、だ。ましろ様。ただ死んで行くわけにはいきません。私は、今日一人でも狩りにいく覚悟でございました。老いて死ぬのも,狩りで死ぬのも等しく死なら,試す価値はございましょう。
我ら人魚の真珠の眼
護るは人の赤き水
十色に輝くこの鱗
濯ぎ磨くはかの血潮」
若い人魚1「腹の肉は薄紅の背中に」
若い人魚2「目玉は漆黒の絹の髪に」
矢来「でも何よりも血。あの赤き血。あれを見ると我らの青き血が沸き立つ。」
人魚達「その妙薬を得られるは
霞を呼べる赤目だけ
我らの命を満たせるは
霞を呼べる赤目だけ」
海烏「さわさわざわわ
さわさわざわわ
赤目恋しや恋しや赤目
赤目憎しや憎しや赤目
どどどどどどど
どどどどどどど」
(最後の2行を繰り返す。歌に被せて海烏達の合唱もかさなる。その歌を無視するように、台詞が続く。)
雪待「ましろ様。言わせておきましょう。赤目が来れば全てわかる事です。」
ましろ「その通りだ。それに、吉兆どちらとも言えぬが、予感がする。それも後でわかる事だがな。皆のもの、落ち着け。騒いで何も見えなくなってしまったな。さあ、月を見てから海を見よ。月が乱れた。赤目が来ている。」
人魚達/海烏「あーーーーーーーー」
皆、月の光をたどって海を見る。赤目、三人の人魚とともに海から現れる。(迫りがあれば地下から登場。)
青波「真白様。連れて参りました。赤目にございます。今日の狩りのために迎えにいきました所、逃げようと致しましたので、少々手荒になりましたが・・・。」
矢来「その傷がついたというのか。可哀想に、
鱗がはがれて、血が流れているじゃあないか。早く手当てしてやれ。」
有明「どうしてでしょう。今まで苦しめられ
て来たのは私達でございます。これ以上、赤目に何をしろと申すのです。」
弦夜「それに、この血は赤目の血ではございません。この半年耐え忍んで来た私たちの血。流して傷に沁みさせれば、少しはこちらの苦しみもわかることでしょう。」
ましろ「醜い物言いはおよし。仲の良かった二人が、そんな哀しい振る舞いができるようになってしまったとは。この半年間の先の見えない苦しみに沈んでいた其方達の心もわかるが、それでも傷つける事は無かろうに。さあ顔を上げなさい、赤目。久しいな。」
赤目「大変ご無沙汰しておりました。」
矢来「ええ、大変。」
雪待「散々皆を苦しめたお前に、言ってやりたい事は山ほどあるが,もう時間がない。さあ、狩りに行くぞ。傷をみせなさい、簡単に手当をしよう。しっかり治療してあげたいが、もう時間がないからね。ほら、漁火が蠢き出している。見失わないうちに行かねばならない。」
赤目「そのことについて申し上げねばならない事があるのです。」
ましろ「言ってみろ。」
赤目「私は、もう霞を出せません。」
若い人魚騒ぐ。
雪待、矢来は動じない。
ましろ「出せない。霞を出す力が無くなったというのか。」
赤目「ええ。もう私にはその力がありません。」
矢来「赤目。真実をはなせ。それは狩りに行かない為の嘘であろう。私の生きた50年、そんな赤人魚が霞を出せなくなる話など、聞いた事が無い。霞を出す気がないならそれでもいい。ただし、狩りには、両手足を縛ってでもお前を連れて行く。そして私の死に様を見るんだな。」
雪待「矢来、そんなおぞましい事を口に出すんじゃあない。ましろ様。私に少し話をさせて頂いて宜しいですか。」
ましろ「いい。はなしなさい。」
矢来「話なんかしてられますか。霞を出せないなんて、嘘に決まっている。はやくこの娘を海に連れて行かねば・・・」
ましろ「だまりなさい。時間など、いくらでもある。さあ、雪待、続けて」
雪待「恐れ入ります。では赤目。お前が今夜、ここに来ると聞いたときから、うすうす予感はしていた。今夜は狩りの為にここに来るのではないかもしれないと。
お前も承知の通り、私たちは皆、半年も人間を食らっていない。これ以上時が経ってしまうと、どんどんこの体の老いが進み、取り返しがつかなくなってしまう。人間の血で、私たちが命を長らえているのはお前も同じだろう。私たちはあれが無ければ三十年と生きられない。赤目、貴方は人間が欲しくはないのかい。」
赤目「欲しい。でも、もうそれは出来ない。」
雪待「赤目。私も霞が出せなくなった赤人魚など聞いた事が無いのだ。正直、本当か疑っている。年長の私や矢来の肌を見てご覧。前と比べてどうだ。この半年、月が巡るたびに、どんどん頬の肉は痩け、肌は重く黒ずんでしまった。間接は浮き出て、目はくぼみ、遠くなる。お前も見てわかるだろう。終わりが体の芯から迫ってくるのがわかる。あの赤い血がなければ、私たちは老いを押さえることができない、悲しい種族さ。だから毎月、こうして満月の夜、命がけで人間を狩る。そのために、霞を呼ぶ。霞が無ければ,とても狩りなどできないことは、貴方は、そうだね、痛い程承知だろう。しかも、それが出来る人魚は、6年もの間、この群れではお前一人しかいなかった。ところが、半年前、お前は突然隠れてしまった。私は初めて気がついた。6年もの間、赤目一人に群れの命運をかけてしまったことをね。たった十一の時からずっと。それが貴方を押しつぶそうとしていたのではないかって。
赤目生まれて十六年
四人いたりし赤人魚
一人二人と泡と散る
一人は病 一人は老いた
そして先代人間に
黒い波間に殺されて
我らが玉の緒結ぶのは
哀れ幼き赤目のみ
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