第2幕 第2場 首相官邸内
(霞の中、栗原の隊が岡田首相を探してさまよう。警護の人間は皆、廊下で眠っていたり、まるで生きている気配すらない。)
栗原「あの女の奇術、中々のものだな。一体どういう手を使ったのだ。何か薬を焚くにしても、火の匂いは全くない。これが終わったら、是非とも教えてもらおう。」
倉友「中尉、ご覧下さい。頭を引きずりあげてもぴくりとも動かない。これが我が国の首長の護衛、護衛ですよ。」
栗原「黙れ、倉友。先陣をきる度胸は良いが、興奮するな。三沢は眠っている警官を縛り上げておけ。いつ目覚めるかわからん。皆も、眠っているものをみたら、とにかく拘束しておけ。」
律俊栗原、ここだ。情報が正しければ、この和室の中で岡田は眠っているはずだ。」
栗原「よし、入るぞ。出口は固めておけ。」
(栗原ら、10名程、中に踏み込む。しかし、部屋には誰もおらず、今しがた逃げたような痕跡が残る。)
栗原「逃げたな。この館にいるはずだ。探せ。くれぐれも潜んでいる輩に気をつけろ。」
海烏(兵士達も口ずさむ)
「さがせ
さがせ
さがせ
さがせ
さがせ
くびを
くびを
さがせ 霞に沈む鬼の城
さがせ 主の首を探れども
さがせ 季節外れの空蝉か
さがせ 残るは温い衣のみ
さがせ
さがせ
くびを
くびを
さがせ しんと凍った鬼の城
さがせ 大寒の雪に身を切られ
さがせ 耳目は闇に攫われて
さがせ 残るは血潮滾る魂
いそげ
さがせ
くびを
くびを (静かに繰り返す)
(混乱の中、朧女が真ん中から入場。ただまっすぐ、中庭に進み壁に寄りかかり、喧噪を聞いている。体は赤く輝いている。)
朧女「おかあさん。はじまってしまいました。はじまってしまいました。」
(倒れるようにうずくまる。)
大阪「どうした。具合が悪いのか。うう。」
(朧女に触れたとたん、大阪も眠ってしまう。他の二人も同様に中庭で倒れるように眠りこける。そこへ、通りかかった律俊が来る。)
律俊「朧女、二人に何をした。」
(律俊は朧女を起こそうとするが、全く起きようとしない。すると、そのそばのぬれ縁に見知らぬ老女が座っている事に気がつく。よくよくみると、脚には尾びれがある人魚、赤目である。海烏の声はいつの間にか消えている。)
律俊「お前はだれだ。朧女、お前、俺にも霞をかけたのか。さっき、俺にも霞をかけていたのか。」
赤目「朧女、起きなさい。これから大切な話をするからね。よく聞くんだよ。」
(朧女、目覚めて赤目に駆け寄る。その姿はさっきまでの彼女ではなく、もっと純粋な、あどけない姿をしている。)
朧女「はい、母様。」
赤目「お前ももう十になった。そろそろ物の分かる年にもなっただろう。今から大切な事を教えよう。」
朧女「大切な事。」
赤目「そうだ。これを聞けば、お前はきっと私を嫌うだろう。憎むだろう。でも、今言わねばならない。」
朧女「母様を嫌うなんて、そんなことは絶対にないわ。でも、どうしてそんな話をするの。」
赤目「朧女。お前を生んではや十年、私は人間の3倍の早さで老いた。私はもうすぐ死ぬ。」
朧女「母様、なんて事を言うの。心配しないで。見せ物小屋には私が立つわ。私が飯代を稼ぐから。この鱗があれば、きっとなんとかなります。」
赤目「ありがとう。でもよく考えて。なんでだと思う。私が見世物小屋の他の人たちよりも、こんなにも早く年老いてしまったのは。これはね、人間を食べなくなったからなんだ。」
朧女「人間を食べる。まさか。」
赤目「人魚は人間を食べて、その若さを保つ。私も食べた。でもね、人間を、お前のお父さんを愛して、お前を宿してから、そんなことはできなくなった。だから陸に上がって老いを選んだ。」
朧女「本当に人間を食べたの。ぱくぱく食べたの。本当に・・・。」
赤目「そうだよ。群れの仲間と一緒に食べた。私は人魚の中でも珍しい、赤人魚という人魚なんだ。赤人魚は念ずれば、幻をみせる霞を生み出すことができる。この力を使って、漁に出ていた人間を罠にかけて、次々捕まえた。驚いたろう。私が気持ち悪くなっただろう。」
朧女「いいえ、いいえ。」
赤目「そして、朧女。お前にもこの力があるんだ。」
朧女「私に。私は人魚じゃありません。」
赤目「いや、あるはずなのだよ。その脚の赤い鱗がその印。赤人魚は赤人魚からしか生まれないからね。お前にもきっと霞がだせる。いまからその方法を教えましょう。さあ、目を閉じて、言われるように祈るんです。そして、霞を出したら、それに乗じてこの見世物小屋から逃げなさい。」
朧女「逃げる。ここから。母様はどうやって移動するのですか。」
赤目「お前一人で逃げるんだよ。」
朧女「母様、母様は行かないのですか。」
赤目「少し声を鎮めなさい。座長が起きてしまうよ。さっきも言っただろう。私はもう長くはない。そしてこの見世物小屋は、人魚の私の物珍しさで生計をたてている。もしも、私が死んだら、お前が新しい稼ぎ手にされて、ここから出られなくなってしまうよ。さあ、一緒に祈って霞を呼んで、それに紛れてここからお逃げ。」
朧女「嫌です。一緒でなければ嫌。」
赤目「私の最後のお願いだよ、朧女。自由になって、自分の道を進みなさい。私みたいに自由に生きるんだよ。」
朧女「自由。座長にいつも縛られて、こんな檻に入れられて、どこが自由なのですか。」
赤目「私は群れを裏切って出て来た。群は私が必要だったのに、お前を生みたい一心で、群を裏切り、自分の心に自由に生きた。人間でない私は、ここにでも入らなければ、どこかでのたれ死に、お前に出会う事も出来なかっただろう。私は幸せだったよ。」
朧女「母様。私の幸せは、母様と一緒にいることです。」
赤目「一緒にいても、私はすぐに朽ち果ててしまう。ねえ、朧女。そんなに私を好きでいてくれるなら、この力を使って、哀しい人たちを助けておやりよ。私はこの力で、たくさんの人間を食べた。その罪滅ぼしじゃあないけれど、この力を、人間を生かす為に使ってくれないか。」
朧女「母さんは、見せ物にされて、たくさんの人に笑われて、馬鹿にされて、たくさん惨めな思いをしてきました。その人間を助けるなんて、私には出来ません。」
赤目「恐ろしい事を言うんじゃない。お前を生むのにたくさんの人間が助けてくれた。そのうちわかるよ。今立っている血は、お前一人のものでは無いという事が。さあ、涙を拭いて。よく見なさい。扉の鍵が開いているだろう。座長が珍しくかけ忘れたんだ。この機会を逃すわけにはいかない。」
朧女「ここでお別れなのですか。」
赤目「目をとじて、私を思い出せばいつでもどこでも会えるよ。涙を拭いて、心を落ち着けて祈りなさい。」
(霞が二人を取巻く。)
赤目「一つだけ気をつけなくちゃいけない事がある。もし、この力を使って、人間を狩る様な事があったら、お前は人間の姿でいられなくなってしまう。いいかい。それだけは忘れるんじゃないよ。さようなら、朧女。お前に出会えて本当に幸せだった。」
(赤目のみ消えていく。朧女は中庭に呆然と立ち尽くしている。そばには同じく立ちすくむ律俊。海烏の歌が再び聞こえてくる。)
律俊「朧女、すぐにこの霞を引かせろ。お願いだ、目覚めてくれ。この作戦は、はじめから首相を殺すつもりで乗り込んだんだ。早く霞を消してくれ。早く。」
(朧女は起きる気配もなく、夢遊病のようにどこかに向かい歩きはじめる。赤い輝きが増していく。そのとき、中庭に一人の男が乗り込んでくる。霞で律俊には気がついていない。)
松尾「なんだ、この赤く光ったやつは。この煙の出所はお前か。よく見れば女じゃないか。」
朧女「赤目の赤子や赤人魚
いいえ人魚じゃありゃしません
無様な深紅の鱗だけ
足に蔓延るお人形」
松尾「哀れ狂人か。どうしてここにきた。」
朧女「一度霞で人狩れば
たちまちおみあしゃくっついて
おかしや人魚にうみかわり・・・」
松尾「来るな!化け物!来るな!」
律俊「畜生!」
(銃を構えた松尾に向けて、律俊は発砲が発砲、松尾と朧女倒れる。徐々に霞が晴れる。数人の兵士が中庭の異変に気がつく。霞が晴れたせいで、警備警官が気がついたのか、他の場所からも銃声が聞こえはじめる。律俊は朧女に駆け寄る。松尾は壁にもたれて倒れていたが、なんとか正座し、姿勢を正そうとする。若い兵士たちが松尾に銃を向ける。)
律俊「やめろ、撃つな、栗原中尉を待て。もうそいつに抵抗する力は残っていない。朧女、朧女。大丈夫か。撃たれてはいないな。脚、脚は・・・。なんだ、人間のままじゃないか。あれは、夢、そう幻だ。」
林「永田中尉。その男は、もしや。」
律俊「おそらく岡田だ。まだ、すこし息は残っている。栗原中尉をよんでくれ。」
林「は・・・。大丈夫です、丁度栗原中尉がいらっしゃいました。」
栗原「奇術師は何をしているんだ。霞が消えて、意識の戻った警官隊と撃ち合いが始まってしまったぞ。」
林「栗原中尉、永田中尉が岡田をしとめました。」
栗原「やったか。誰か、日本間にある総理の写真を持って来てくれ。それと、倉友を呼べ。」
(朧女目覚める。)
律俊「朧女、気がついたか、良かった。」
朧女「律俊。やっぱり嘘をついたのね。」
栗原「気がついたか。よくやった。礼を言おう。」
朧女「貴方も、貴方も裏切るのね。」
栗原「嘘も方便という言葉を知っているか。女よ。この一人の死が、我が国の何万人もの貧困者を救うのだ。」
松尾「戯れ言を。私を殺しても何も変わらないぞ。血で血を清められるはずが無い。貴様らの先に道は無い。」
朧女「栗原中尉。そうよ、この人を殺しても何も変わらないわ。お願い、この人を殺さないで。」
栗原「女、こいつが生きている方が何も変わらないんだ。大阪、このうるさい御婦人を女中部屋に入れておけ。そして、部屋から出すな。あとで聞きたい事がある。妙な奴らに絡まれぬよう、しっかりお守りしろ。いいな。」
律俊「朧女、すまない。」
(写真を持った兵士と倉友が入ってくる。)
栗原「どれ、貸してみろ。間違いないな。倉友、先陣の手柄にお前にとどめを命じる。」
朧女「やめて、お願い、やめて!」
松尾「陛下万歳・・・」
(銃声。松尾は倒れる。)
朧女「ああ。」
兵士/海烏
「万歳、万歳、万歳・・・」
(朧女も倒れてしまう。)
第2幕 3場 女中部屋/首相寝室
(小さな部屋に、女中が二人、ふすまの前で正座している。そのそばで、朧女が布団の中に眠っている。)
サク「あら、気がついたのね。可哀想に、女の子にこんな乱暴をするなんて。もう、まる一日ちかく眠っていたのよ。」
朧女「このお布団は、あなた様が。寝間着も・・・。」
キヌ「そうよ。どうなさったの、軍服を着せられて。貴方もまさか反乱軍なの。それともまた別の何か。一時間に二度は兵隊さんが様子を見に来て。」
朧女「反乱。ちがう、反乱なんかじゃない。この世の哀しい人たちを助けようと思ったんです。でもそれもおしまい。もう終わりなんです。皆さんは・・・」
キヌ「こんな若い娘さんまで反乱に加わったのね。何が哀しい人たちを助けようですか。あんなに人を殺しておいて、何が・・・。」
サク「反乱に加担したものに語る事等何もございません。私に力があれば、貴方を撃ち殺してしまうのに。」
朧女「他にも残っている方はいらっしゃるのですか。その、警備兵以外に・・・。申し訳ありません。申し訳ありません。私の力で、この館を血に染めてしまった・・・。」
(奥のふすまからもの音がする。)
朧女「何の音でしょう。」
キヌ「さあ、気のせいでございましょう。」
朧女「いえ、確かに音がしましたわ。」
サク「気のせいでございます。もしくは鼠じゃないかしら。」
朧女「そう。・・・でもやっぱり。」
(おぼろめ、素早くふすまをあけてしまう。中には死んだはずの岡田首相がいる。)
朧女「生き返った・・・。いいえ、そんなはずは無い。そんなはずは無い。」
キヌ「(ふすまを急いでしめる)お嬢様、あなたが一体どんな方かは存じません。でも、このお方はこの国に必要な方なのです。貴方にこの国を憂える心があるのなら、どうか、ここで見た事はご内密に。見れば貴方はまだお若い。若さにのぼせて見失ってしまっただけではないですか。首相を殺した所で、世の中は何も良くなりません。ただただ混乱するだけなのですよ。だから、どうか。」
朧女「じゃあ、あの場で殺されたのは、誰・・・。」
サク「義弟の松尾予備役大佐でございます。あの霞の夜、次々と警備の者が眠っていく中、自らの脚に短刀を刺して、正気を保ち、身代わりとなったのです。」
朧女「助けましょう。この方を助けなければ。」
キヌ「え、貴方はなんて言う事を言うのです・・・。」
朧女「この方を助けます。見つかれば殺されてしまう。ここにいては時間の問題です。今度こそ、私の目の前で誰も殺させはしません。」
サク「し、静かに、誰かやってきます。」
律俊「朧女、気がついたか。喜べ、岡田内閣は臨時首相の手によって総辞職した。」
朧女「そう。じゃあ、私の役目はもうおわりでしょう。ここから出して。」
律俊「悪いがそれは出来ないんだ。栗原が、朧女の奇術について聞きたい事があるらしい。それに、外はいま戒厳令がしかれて、自由に外を歩くことが難しいんだ。落ち着いたらきっと帰れるから、今はもう少しここで待っていてくれないか。」
朧女「それなら栗原中尉に私が直接会いにいく。」
律俊「栗原は今忙しい。もうすぐここに、そう、あと十五分もしたら、亡き首相の検分に政府のやつらが来る。その準備で忙しい。」
朧女「検分。」
律俊「そうだ。早朝、電話が会ってね。遺骸だけでも見せて欲しいと頼み込まれた。それを栗原が許可した。」
朧女「そう、それじゃあ忙しいわね。」
律俊「またあとで、昼飯のおにぎりでも持ってくる。栗原には、朧女が目覚めた事だけ伝えておくよ。」
朧女「待って。その検分の方達がきたら、ここにいる女中さんを一緒に連れ出してあげられないかしら。ここから出たいそうなの。ねえ、誰がいらっしゃるの。」
律俊「今から来るのは秘書官だった福田と迫水いう人物だ。」
朧女「女中さん、その人の事はご存知ですか。」
サク「ええ、もちろん。いつもお世話になっておりますもの。
朧女「じゃあ、話は早いわ。連れて行ってもらいましょう。ねえ、律俊、栗原中尉に掛け合ってくれない。」
律俊「わかった。時間はないが、相談しておこう。」
朧女「ありがとう。」
(律俊、去る)
朧女「行ったわね。さあ、きっかけは出来ました。あとは私に任せて下さい。」
キヌ「あなたは、何をなさる気なのです。」
朧女「首相を逃がしましょう。」
サク「貴方は、反乱軍なのでしょう。信じられません。」
朧女「信じられないと思います。でも、聞いて下さい。私は、目の前にいる人たちを助けたくて、この作戦に加わったのです。岡田首相を説得して、辞任させる事ができれば、世の中が良くなると信じていたのです。」」
サク「あんなに武装した軍隊で押し寄せて、ただの説得で終わるはずが無いでしょう。」
朧女「でも、あの人達と約束したのです。力を貸す代わりに、誰も殺さないと。私はそれを信じることしか出来ないのです。馬鹿な女なのです。そして、血は流れました。私の目の前で。」
サク「そんな・・・あなたはなんて愚かなの。」
キヌ「貴方、お名前は。」
朧女「朧女と申します。」
キヌ「私は府川キヌ、こちらは秋本サクです。」
サク「キヌ。やめなさい。」
キヌ「でも・・・。」
朧女「もう時間がありません。検分役はあと十五分で来てしまう。私の作戦を聞いて下さい。」
サク「私は貴方が信じられない。」
朧女「どうしたら信じて頂けますか。」
キヌ「サク、この娘さんにかけてみませんか。私はなんだか、信じられる気がするんです。なんだか、一生懸命なんだもの。それに、もし私たちを騙す気なら、今の将校さんが来た時に、もう伝えているはずでしょう。」
サク「・・・わかったわ。どうせここにいても埒があかない。死の予感が強くなるだけだもの。」
朧女「では・・・。」
(舞台上、薄暗くなる。別の一角では栗原が律俊と話しながら正面玄関に向かっている。)
律俊「栗原、朧女が目を覚ました。」
栗原「やっと奇術師の目が覚めたか。丸一日眠っていたんじゃないか。」
律俊「女中部屋に逃げていた女中二人が介抱してくれたようで、もう元気に歩いていたよ。そこでな、朧女が言っていたのだが、もうじきに来邸する検分役の福田秘書官に、その女中を引き取ってもらえないかと。」
栗原「そういえば二人、部屋で震えながら残っていたな。そうだな、連れて行ってもらえ。主の殺された館に残っているのは辛かろう。永田、宜しく取りはからってくれ。ところでだ。あの女、朧女のことだ。あいつはただの女だ。我々の思想や理想など何も理解できないただの女だ。だが、あの奇術の種が知りたい。お前は知っているのか。あの霞の正体を。」
律俊「あれは人魚の術だよ。」
栗原「夢みたいな事を言うな。」
律俊「嘘は言っていない。あとは、これが信じられるかどうか。」
栗原「馬鹿にしている目ではないが。まあいい、あとで直接聞きに行こう。」
林「栗原中尉、お話中失礼致致します。福田秘書官が到着されました。」
栗原「わかった。すぐ行く。丁重におもてなししろ。永田、お前は秘書官の弔問が済んだら、秘書官を女中部屋へ・・・いや、女中を正面玄関に連れて来ておいてくれ。くれぐれも、朧女は外に出すなよ。」
永田「承知。」
(永田は照明から外れ、朧女の部屋に向かう。正面玄関から、倉友に連れられた福田秘書官と迫水秘書官が入ってくる。)
栗原「ようこそいらっしゃいました。栗原安秀です。」
福田「福田です。こちらは迫水。朝の電話で話した通り、秘書官二名で参った。」
栗原「遺骸は岡田の寝室に安置してある。今はくれぐれも検分に留めて頂きたい。」
福田「承知している。さあ、通してくれ。」
栗原「では、どうぞ。(歩きながら)そうだ、女中が二人、震えてこの館に残っている。つれて帰ってくれないか。あとで正面玄関に連れて来させておく。」
福田「もちろんです。女性をこんな血の館に老いておくわけにはいかない。」
栗原「この血は我が国の毒だ。毒に冒された体を清めるには、荒療治が必要だったのだ。ここは未来の日本国の礎の館となろう。今は、主の殺された場にいる事が耐えられないかもしれん。しかし、いつか、この場にいた事を誇りに思う時が来るだろう。」
迫水「(小声で)こいつ・・・正気か。」
栗原「さあ、どうぞ。ご対面ください。私はここで待っている。」
(林、唐紙をあけ、秘書官二人は中にはいる。二人は安置されていた遺骸の顔にかけられていた布をめくる。顔を見た瞬間息をのみ、顔を見合わせる。)
福田「迫水。このお方は。」
迫水「先生ではない。松尾予備役大佐だ。ということは・・・。」
福田「きっと先生は、この官邸のどこかで行きておられる。松尾先生は顔立ちが似ていたから、咄嗟に身代わりになったのだろう。」
迫水「とりあえず、この場は怪しまれないよう、これが総理の遺体である事にしておこう。」
福田「そうだな。女中が何か知っているかもしれん。戻って、詳しい事を確認して、一刻も早く次を考えよう。」
栗原「総理の死体に間違いありませんね。」
福田「相違いありません。」
栗原「では、ここでお引き取り願いましょう。」
(照明暗くなり、再び女中部屋に明りが入る。女中部屋の会話の間に、栗原一行は玄関にたどりつくこと。)
サク「本当にそんな事が出来るのですか。」
朧女「嘘はつかないわ。あとは、信じられるかどうか。」
キヌ「サク、信じましょう。今はこれしか道が無いのですから。」
律俊「入るぞ。朧女、その二人をここから出せることになった。」
朧女「迎えは、迎えはもう来たの。」
律俊「今、栗原が遺体に案内している。この二人は私が正面玄関まで連れて行く。確認が済んだら栗原がここに来るから、朧女は待っていてくれ。」
朧女「迎えはここには来ないのね。」
律俊「そうだ。正面玄関で秘書官にお渡しする。」
朧女「それは残念。」
(朧女、赤く輝きながら手を律俊の前にかざす。律俊、眠りにおちる。)
律俊「おぼろめ・・・。お前・・・。」
朧女「ごめんなさい。律俊。さあ、この人を中に入れて、首相をふすまから出して。迎えがここまで来られないのは残念です。本当は、屋敷全体を一気に霞で覆いたかった。でも、そうしたら迎えの人たちまで巻き込んでしまう。作戦を変えましょう。正面玄関までに会う人々は、こうして私が一人一人霞をかけて眠らせる。なんとか秘書官と落ち合えたら、とにかく走ってこの官邸を出て下さい。あとは私が何とかします。行きましょう。時間はありません。弔問客に人が集まっている間が勝負です。」
サク「ご主人様、さあ、こちらへ。福田秘書官がいらっしゃっております。」
岡田首相「娘さん。こんな事をして良いのかね。仲間を裏切ることになろう。」
朧女「大丈夫です。首相、どうかご無事にお逃げください。」
岡田首相「娘さんに一つ聞きたい。どうしてこの反乱に荷担したのかね。」
朧女「・・・好きな人がいるの。」
岡田首相「そうか。」
キヌ「一人一人に霞をかけると言ったけれども、万一、貴方の出す幻に飲み込まれてしまったら。」
朧女「もし、もしもそうなったら、自分のどこかを傷つけてください。とにかく眠らないように正気を保つしか無い。」
サク「わかりました。では、まいりましょう。」
(朧女一行、部屋を出て行く。わずかに残る意識の中、朧女の話を聞いていた律俊。なんとか自分の短刀を取り出し、脚に突き刺す。さらに、笛を吹く。)
律俊「誰か!岡田だ!岡田が生きているぞ!」
(笛の音と同時に照明が全体を照らす。朧女一行、思わず立ち止まる。栗原一行は玄関でその音を聞く。)
朧女「律俊。どうして、眠らせたはずなのに。ああ、兵士達が来てしまう。走って。」
栗原「何の笛だ。この叫び声は一体なんだ。」
福田「迫水。聞いたか。」
迫水「ああ、聞いた。確かに岡田と叫んでいた。」
林「中尉、あれを、朧女が女中と見知らぬ男を連れてこちらに向かっております。」
栗原「ここで押さえろ。抵抗するなら撃っても構わん。ただし、殺すな。まだ聞きたい事がある。福田さん、迫水さん、ここは危険だ。さあ、外へ。」
(福田・迫水、外に出される。)
朧女「もう玄関に栗原がいる。」
キヌ「あれは、福田様と迫水様。」
朧女「あの二人がそうなのね。あの二人に首相を渡せば良いのね。霞を出します。3人とも、良いというまでしっかり目を閉じていて下さい。幻に巻き込まれないように。」
(朧女、赤く発光し、凄まじいスピードで霞みを出す。)
栗原「畜生。やられた。何も見えん。皆、煙をみるな。眠らされてまやかしに遭うぞ!」
(兵士達、倒れかけたり、その場に踞る。栗原、福田、迫水も同様。)
朧女「もう大丈夫、目を開けて下さい。」
サク「これは何。兵士達が酔ったように倒れていく。」
朧女「何も考えないで。さあ、走って。今外に出された二人の元へ。」
(4人、兵士達の間を走り、玄関を出る。)
岡田「福田、迫水、よく来てくれた。」
福田「先生!よかった。よかった。」
朧女「さあ、早く行って下さい。首相は顔を隠して。早くこの屋敷から離れて下さい。」
サク「貴方は。」
朧女「私は残ります。」
キヌ「駄目よ。こんな事をして、無事では済まない。」
朧女「もう、向こうには戻れないの。」
(朧女、官邸に戻る。ドアを閉める音と同時に暗転。
5ページ(全6ページ)