ハーメルンの笛

 ハーメルンの笛を探している、とその男は云った。

 ハーメルンですか、と、私は応える。独逸(ドイツ)産の笛ですか?と、とぼけてみせる。

 男は、ゆらりと、しかしせわしげに首を振った。

 違います。ハーメルンの笛吹き男、知っているでしょう? 

 そう云って、ひたと、私の眼を見つめる。視線を()らそうにも、どこか茫洋(ぼうよう)とした瞳には、(あらが)い難い何かがあった。

 ハーメルンの笛吹き男は、独逸で実際にあった集団失踪事件を(もと)にした御伽噺(おとぎばなし)らしい。

 その話の中で、不思議な旅人は笛を吹く。その音でねずみを操り、子どもを操る。

 あの男の吹いた笛を、あなたは持っていますね。

 此処(ここ)は日本ですよ。

 其処(そこ)にあるのは、伊太利亜(イタリア)提琴(バイオリン)ではありませんか。()れは、阿弗利加(アフリカ)産の柘榴石(ガーネット)ですね。

 説明書きも正札もないのに、一目で言い当てる。得体の知れない不気味さに、私の背筋を、汗が伝った。

 ええ、うちは古物商を営んでいます。ですから、各地の色々な品が、様々な過去を伴って集まってきます。ですが、そのような品は、

 時間がないのです。お願いします、あれは、私の、唯一の成功品なんです。

 男は身を乗り出し、(すが)るように言葉を(しぼ)り出した。一秒()りと目を逸らさずに、必死に訴える。

 周波数を変えれば、どんな生き物だって呼ぶことができる。ハーメルンで行われたように、人に対して使われれば、いや、それ以外のどんな生き物にだって、悪用されれば大変なことになる。それに、何よりあれは、私の実験の唯一とも言える成果なのです。

 一体、貴方は何なのですか。わけのわからないことばかり仰るのなら、お引き取り願いたい。

 吃度(きっと)、信じては貰えないでしょう。――あの笛を作ったのは、私です。

 素晴らしい誇大妄想だ、と、笑っても良かっただろう。そうするべきだったのかも知れない。

 しかし私は、凍りついたように男を凝視した。長い時間をかけてようやく、口の端を吊り上げる。

 もう一度、作ればいいではありませんか。否そもそも、あの笛を貴方が作ったとするならば、失礼ながら、随分とお若く見える。どれだけ年齢を偽れば、其れが実現するというのでしょう。

 男は頭を()(むし)り、腕に巻いた何かを見遣った。絶望の色に、顔が歪む。

 貴方たちは、いつも其れだ! 何故信じては()れない、私がこうしてやって来られる時間は少ないというのに、何故、何故邪魔をする! とにかく笛を、返して呉れ――

 ふつりと。

 男の声が途切れた。

 男の姿が、掻き消えた。

 たった一人残された私は、呆然として、そうして、男の姿を求めて店内を見回した。人が隠れられるような場所は、どこにもない。

 ややあって、私は、そっと引き出しを引っ張った。小振りの笛を、取り出す。

 息を吹き込むと、ぴいと音が鳴った。

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