ざわざわという音が満ちている森の中。その中に一本伸びている、何の変哲もない通り道。
一応コンクリートで舗装されているものの、年月がたつのか随分と使いこまれた感じだ。
両サイドに家は特にないが、道のつきあたりに一軒だけ家がある。よくあるコンクリートブロックの塀で囲まれた、木造の平屋。
そんな小道を人が一人、買い物袋をぶら下げて歩いていた。
瞳は大きいが、生気がなくてどこかうつろ。サラッとした髪の毛は、左右両サイドだけちょっと跳ねている。
名前は
体が小さくて十五かそこらにしか見えないのはさておき、急ぎもせずゆっくりもせず、普通にてくてく歩いている。
この道の両脇には家はない。突き当りには一軒だけ…ということは、あの家に住んでいるのだろうか。
案の定、十闇はブロック塀の切れた出入り口にひょいっと入り、悪びれもせずに堂々と入った。
「えーっと、鍵は」
そして玄関の前で立ち止まり、ポケットをごそごそ探って鍵はどこだっけと探す。
……その様子を見れば一目瞭然、改めて言うのもまだるっこしい。此処はまぎれもなくこの子の家だ。
「あった」
無事に鍵を発見し、さっそく鍵穴に差し込む。ぐるっと回してカチャリと――
「あれ?」
しかし何だか感触がおかしい。いつもの感覚が伝わってこない。
変だなぁと思いつつ、ドアに手をかけるとそれは普通にあいた。鍵がかかってなかったのだ。
「?」
外出時に鍵をかけ忘れたのか? いやでもそんなはずはない。
まさか泥棒? そんな不安を抱きつつ、鍵を抜いてポケットに戻して十闇は慌てて家の中に入った。
そのまま「ただいま」も言わず廊下を走り、貴重品がしまってある部屋に――…と行こうとしたが、しかし途中でピタリと止まった。
「あっ?!」
立ち止まったのは台所の前だった。扉が開けっぱなしで、中の様子がうかがえる。
そして、十闇はそこを驚きのあまりぽかんとして見た。
「……だ、れ」
台所には人がいた。十闇と同じくらいの年の男性がいて、イスに座って雑誌を読んでいる。
家の中にいるんだから、身内と考えるのが普通だろう。だが違う。
そもそも、家族が部屋にいるのならそれは当り前のことで誰も驚いたりなんかしない。
なのに十闇が驚いたのは、彼が自分のまったく知らない人だったからだ。
「あ、あの」
荷物を手に提げたまま、ビクッとして不安げな表情をとる十闇に対し、男は少し顔をあげたものの、驚く様子はカケラもない。
それどころか、まったく変わらぬ姿勢で堂々と雑誌を読んでいる。
見ればこの男、耳にやたらピアスをつけていて、何だか荒っぽい雰囲気がある。
…別にピアスが悪いとは言わないが、頬杖をついて偉そうにページをめくっている様子しかり、全体的にガラの悪さは否めない。
そして彼のその落ち着きっぷりは、本来の家の住人である十闇の方が『家を間違えたかな?』と思うほどだった。
しかしここはまぎれもない自分の家で、男は自分の知らない人。いうなれば不法侵入者だが、一体どうしたらいいだろうか。警察に通報するか?
おろおろと、そんな事を思う十闇。
だが彼が雑誌を読みがてら、隣にあった陶器のマグカップをとって中身を少し口にしたのを見、あーっと声をあげた。
「それ……おとぅさんのマグカップ」
「ああ」
ここでようやく、彼は十闇に目をとめた。
勿論彼とて人がいることに気がついてはいたのだろうが、ずっと無視して――…それが今ようやく雑誌から目をはなして口を開いた。
だが男の言葉はなんとも横柄なものだった。
「中身があったから飲んだんだ。悪いか?」
と言ってジロッと睨んでくる。その目はなかなかドスが聞いていて、十闇は何も悪いことはしてないのにドキッとさせられた。
しかしそれも一瞬で、次の瞬間、十闇はひるむどころかツカツカと部屋の中に入った。
まずは邪魔な買い物袋を机に置き、そして……
「返してよ!」
なんと、男にいきなりくってかかった。
「何で勝手に使うの? 人のものをとらないで下さい」
「はぁ? …おい、はなせよ」
「返してよ。ひどい……何で…」
腕と服の背中をつかみ、ゆさぶりながら言う十闇。それを、男は煩わしそうに見た。
「うるせぇな。何だよ飲み物の一つくらいで
「返して下さい」
「あーもう…うっせぇよ」
男は面倒くさそうに頭をかいた。
「うざいんだよ。はなせよボケが。テメェ、誰に口を利いてると思ってるんだ」
そう言って、かなり乱暴に腕をぶんっとふった。何の造作もないしぐさだったが、それは十闇の腹に見事命中した。
「うっ」
しかもなかなか勢いが強く、十闇は軽く飛ばされ、したたかに壁に背中をぶつけて息をつまらせた。
「――っ」
痛みにうずくまる。が、男は平然としていた。
「余計なちょっかいをかけてくるからだ」
悪びれる様子は全くない。また雑誌を読みに入り、まるで当たり前のようにカップを使ってコーヒーを飲む。
「……うぅ」
十闇は壁際にうずくまったまま、よろよろしながら立ち上がった。こっちが正規の住人であるというのに、力ではまるで叶わない。
いよいよ本当に警察を呼ぼうか? 確かに、それこそが今、家の住人としてするべき当然の行為だ。
だが十闇はそうはせず、ただ男をかなり恨めしそうに見ていた。特に男が口をつけているマグカップ、それに対してひどく恨みがましい目を向けている。
何かひどく思い入れがあるらしいが――…。
だが、青年がそれの中身をすっかり飲んでしまった事が分かると様子が変わった。
逆に開き直ったらしく、先ほど背中をぶつけた壁によりかかり、やや乱暴にこう言い放った。
「こんな風に壁に叩きつけられたのは、十五歳の時に父親にぶっとばされた時以来です」
「はぁ?」
男は首をかしげた。
「おまえ、何言ってんの?」
「僕、虐待されてたの」
「……へぇ」
突然の告白だったが、男は別にどうってことない口調でこたえた。
「だから何だ」
「私、恨んでるんです。父親のこと。とっても」
十闇は吐き捨てるように言う。
「今はもう虐げられてはいませんが、五年間。五年の間、僕はずーっと耐えていたの。
私、なにも悪いことはしてないのに、家から出るなって言われて。獣に噛まれて投げ飛ばされて、本当に本当に痛かったんです」
話し方は
やけにスラスラと言われる悲惨な話に、男は無言のまま軽く眉をしかめる。十闇は一方的に続けた。
「苦しかったし悲しかったの。でもおかぁさんはもういなくって、助けてもらうことは出来ませんでした。
誰もかれも……だから、私は彼を本当に恨んだの。何でこんなことをされなきゃダメなのって」
「で、俺にどうしろっていうんだ?」
十闇の言葉が少し止まったスキに、男は口をはさんだ。
カラになったマグカップをのけ、偉そうに足を組んでイスに座りなおす。
「いきなりそんな事言われてもな。ていうか、俺はおまえの事なんて知らねぇよ。虐待されてようが放置されてようが知ったことか。
それとも何だ? そういう話をすれば同情してもらえるとでも思ったか? 生憎だが、俺は――」
「人の家に勝手に入って飲食物をあさるなんて最低なの」
男の言葉をムリヤリ遮り、十闇はやけにきっぱりと言った。
「どこの誰だか知りませんが、本当にマナーがなってないですね。どかないって言うなら、今からでも警察に通報しますよ」
「ふん」
男は鼻で笑った。
「人がせっかく心配して来てやったのに」
「……どういう意味?」
質問に、男は返事がわりに何かを出して十闇に投げた。
「いたっ」
ぱしっと音がして、それが頭にあたった。落ちてきたところをキャッチして見れば、それは家の鍵。
黒いコウモリのアクセサリーがついている。十闇はこれに見覚えがあった。
「おとぅさん、の」
「忘れ物だ。三日前に俺んとこに来たのはいいが、これを忘れていきやがった。後で取りに来るかと思って保管していたんだが全然こない。
それどころかあれから顔も出さないし、ケータイもメールも音信不通。ブッ倒れてるじゃないかと心配になって来てみたら、家には誰もいない」
先程の十闇ではないが、男はつらつらと続けた。
「インターホンを押しても扉を叩いても全然出ないし、本当にブッ倒れてるんじゃないかと思ってな。
カギを開けて中に入ったが、中には誰もいない。どこにいったんだ?」
「……」
「一人暮らしだと思っていた。奴に子供がいるなんて話は聞いてなかったが」
と言って、彼はまたじろっと十闇を睨んだ。
「話からするとお前がそうらしいな。ツラの似てない親子だが…あー…言われてみれば体つきが少し似ているかもな。
とにかく、暇をおしてわざわざ来てやったんだ。ありがたいと思え」
「……」
十闇は黙っていたが、ここにきてようやく、男がここにいた理由が分かった。
彼は父親の会社の人だ。そして、理由は分からないが父が一人暮らしであると勝手に思い、病気で倒れているのではと鍵をあけて中に入った。
要するに心配して見に来てくれていた…の、だが。
いないと分かったのなら、さっさと家から出ればいい。どうして中に入って堂々と雑誌を読み、コーヒーなんて飲んでいるのだろう。その神経が信じられない。
実は十闇、男に家に入られたことはさほど問題視しておらず、むしろ彼が勝手にマグカップを使っているのにムカついていた。
何故って、それは――…
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