猫と弟・猫と高い塔

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 年が明けに少しずれ込む形で休暇が取れた。発電施設に勤めているからにはなかなか休みも取れないことがわかっていた分、許可されたときは驚いた。勤め始めて八年。ほんの少しだけ融通が利くようになった総務部の対応に、自分が積んできたものを感じていた。

「お帰りなさいっ」

 元気よく迎えてくれる息子の浩太の頭を撫でる。小学校低学年の息子はまだ「なにすんだよ」とは言わない。いつか言われるのだろうが、今はまだそのことにホッとした。

「奈央は? お母さんどうした」

「お母さん、新しいお荷物届いたから部屋ごちゃごちゃにしてるよ」

 言葉通りに散らかったリビングには明らかに一般家庭のそれとは異なっていた。テーブルに乗りきらなかった工具や図面、いくつかの部品が床を侵食している。

「ただいま。すごいな、これ」

 ごちゃごちゃの中央に座り込んでいた妻に声をかける。彼女は振り向くと嬉々とした表情を向けた。

「お帰りなさい。シュン。これすごいのよ。電熱カッター。モーリタニアのヌアロー社製なんだけど今日サンプルが届いて」

 奈央は手にしていた十五センチメートルほどの小さな機械を示す。パッと見た限りでは電気剃刀とも区別がつかない代物だ。

「これ、うちの玄関くらいだったら貫通できると思う。だってこの性能だもの。もしうちで密室事件か立てこもり事件があったら、大活躍よ。でもねえ、一般家庭の電力じゃこのバッテリーに対応してないのが難点……」

 そもそも、うちで事件が起きたらたまらない。それもそんな厄介な事件はごめんだ。僕は肩をすくめることでその意を表した。

「お父さん。僕、遊び行ってくるから!」

 どこに行くんだ? と訊ねる声も聞かずに浩太は玄関を飛び出していった。

「給水塔よ。最近の人気スポットなんだって」

 顔を上げて、奈央がかわりに応える。「給水塔、て?」

「ほら。裏の丘を散策路に整備したところに新しく建てたでしょ? あれに登ろうとがんばってるの」

「がんばるったって、四、五十メートルはあるだろう? そもそも登れるのか?」

 頭の中にコンクリート造りの冷え冷えとした塔の姿が思い浮かぶ。

「立ち入り禁止よ。言っても聞かないの。まあ、本人は登りに行くなんて言わないけど」

 呆れたようにため息をついて奈央は腰を上げる。

「そんなわけで。さ、行きましょうか。駿太郎お父さん」

「行くって?」

 帰ってきて早々、回れ右をして背中を押される。

「息子の危険回避補助と努力参観よ」

 散歩にちょうどいいでしょ? と笑いかける奈央に促されるまま僕は部屋を出た。

 外は寒く、こんな日でも走って遊びに行く風の子がうらやましいほどだ。僕らは裏の丘に向かいながら会話を続けた。

「いつも追いかけてるんじゃ大変だろ」

「そりゃまあね。でも『親』っていうのは『木の上に立って見る』人のことでしょ? え? 小学校で漢字を習う時にそう教えられたの。でも浩太ったら最近、わたしがああやって何かに集中してる時を見計らって飛び出すのよ。お気に入りの場所に付いて来られたくないのね。たぶん」

 それは確かに「親だから」のひと言で納得するには努力もいったことだろうと思えて、頭が下がる思いだった。ありがとう、と呟くと奈央が、よしよし、というように得意気に頷いた。 会話のついでに先ほど気になっていたことを訊ねることにした。

「さっきのさ」

「ん?」

「さっきのカッター。あれ、その辺のホームセンターじゃ売ってないよな。どうしたのさ」

「森屋先生の伝手よ。ま、今月中には返すんだけど。一度実物が見てみたくって。公団も買うんでしょ?」

 そういえば資材部でそんな話が出ていたような気がする。

「森屋先生とも連絡とってんだ」

「あら、妬ける?」

 苦笑で返した。森屋先生は僕らが大学の頃に世話になった教員の一人だった。今年で六十も半ば。やきもちの相手にしては円熟しすぎている気もする。

 奈央は三年ほど前から、再び勉強をし始めた。大学での専攻や公団で技師として身に着けたことを総ざらいしたかと思うと、今では関連分野にも手を伸ばし始めた。「ひとりで好きにやってるのよ。趣味みたいなもん」。そう言って特に大学に入りなおすわけでも、公団に復帰するわけでもなくコツコツと続いていた。知人や友人との連絡も盛んなようで、家には専門書が少しずつ増えていっている。その趣味は、今や現場にいる僕よりも広く、深くなっているかもしれない。

 復職の意思はあるのか訊いてみたことがある。答えはノーだった。

「仕事のためじゃないの。やってみたいのよ」

 家事はおろそかにしない、と言われ、逆にその点でほとんど協力できない僕の方が頭が上がらなかった。それに夫の贔屓目かもしれないが、そのことに突っ走っている奈央を見るのも好きだった。

 丘にむかう道を歩きながら僕らはとつとつと静かな会話を続けた。

 今年度は大きな出来事がいくつかあった。数年前から続く、反電力事業拡張団体の大規模なキャンペーンもそのひとつだ。ただでさえ目立つ重力発電塔も矢面に立たされた。

 そんななか、塔最上部であるターミナル11の主任技師だった牛島さんが倒れた。

 搬送先の病院での診断は過労。ちょうどその時期、ターミナル11で研修をしていたこともあって、未だに「若手」の自分が付き添っていた。

「頑固な父でしたから。多分、自分の身体にも素直じゃなかったんでしょうね」

 公団からの連絡で、病院にはすぐに娘さんが駆けつけていた。いかにも快活そうな様子で背筋がピンと伸びている。馴れ馴れしさや、優柔不断さを頑として受け付けないであろう気の強さが感じられた。父子家庭とは聞いていたが、その点は牛島さん譲りなのだろう。

 確か、神奈川の食品会社に勤めていると聞いていた。

「高梨さん、ですよね。父からお噂はかねがね。お世話かけました」

 そう言って、頭を下げると脇に立っている青年に「ちょっと待ってて」とだけ言って医師のもとに向かった。どうやらこれだけ早く駆けつけられたのは脇に立つ青年のおかげらしかった。自然と、廊下の長椅子に二人で腰かけお互い自己紹介をした。

「高梨さんに自分を紹介するのも憚(はばか)られるんですが……」

 そう言って、苦笑しながら彼が言ったところによると、例のキャンペーンの広告・宣伝の一端を任されている出版社の勤めだという。

 正直、宣伝の出版社まで気にしていられないのが本音だった。反対団体はいつだっている。それは妄信を恐れる人間の自然な反応かもしれない。しかし、そのことに逐一対応していたら、自分の信じることなど何もできない。無論、彼自身が反対しているわけでもないのだろう。仮にそうだとしても、それは彼の意見だ。尊重できるほどには大人でいたかった。

「……まあ、牛島さんはそういうの気にしないと思いますよ。自分もそうですが、公団の職員はそれ相応の反発は覚悟していますから」

 そう言うと、鮎川と名乗った彼は笑った。

「マキシミンってやつですね」

「マキシミン?」

 どこかで耳にしたような気もしたが、言葉の意味はわからなかった。彼は照れたように笑いながら、受け売りなんですけど、と前置いた。

「最悪のシナリオのなかで、どれだけ最良の選択をするか。経済用語らしいです」

 そう語る彼の横顔はどこか誇らしげであったが決して嫌味なものではなかった。きっと、受け売りの相手との思い出は悪いものではないのだろう。

「俺もキャンペーンに積極的なわけじゃないんです。でも、ごねるには動機があやふやで……高梨さんたちには申し訳ないですけど、きっちり仕事させてもらってます」

 いっそ清々しいほどの顔で微笑む。何だか好感が持てた。そんなことを思う自分が妙にジジ臭くもあって内心苦笑した。三十代の男の内心は少しだけ面倒だった。

 その後、ターミナル11での研修はさらに本格化した。ベテラン技師の抜ける穴は予想以上に大きい。ただでさえ内部管理を徹底するために人員が少ないからだ。そんななかで冬の休みをとれたのは日頃の行いが良かったからだろうか。順調に過ぎていく休暇は僕にそんな感想を抱かせた。

 あの日が来るまで。

 その電話を受け取ったのは、休みも数日過ぎた頃。奈央の実家がある長野県の小諸からの帰りの道中。朝から雪でも降りそうな曇り空の日だった。

「高梨か? 今、どこにいる? 県内か?」

 矢継ぎ早な質問は発電塔の施設部長の木島さんだった。

 長野から静岡に入ってしばらく走ったところで、確かに県内にいるといえばいた。

「すぐにこっちに来れるか? さっさと来てくれ。御前崎の施設本部だ」

「ですが……あの、妻と息子も一緒にいて」

 構わないからさっさと来い、と言って電話は切れた。

 何かあったのかこの場で話す気はなさそうだ。

「どうしたの? だれ?」

 コンビニに車を止めて話していた僕に助手席の奈央が声をかけてくる。後ろでは浩太が黒猫のぬいぐるみを抱えたまま寝ていた。

「木島さん。施設本部に今から来いって」

「何かあったの?」

 首を横に振る。わからないんだ、とだけ言って僕は車のイグニッションスイッチを押した。

「……事故、ですか」

「はい。本日午前九時の段階でターミナル11が封鎖されています」

「封鎖、て。職員や技師は?」

「職員も技師も含めて全員が閉じ込められています」

 はあ、と答えて、僕は渡された資料に目を落とした。

 施設本部には、休みのわりにはそこそこの職員が行き来していた。発電塔を見上げる位置にあるボックスタイプの建築物。公団の御前崎支部で、発電塔の施設管理も担当している。広々としているのに、どこか窮屈で、肩がギスギスと狭まる感じが嫌だった。説明をしてくれた職員は、軽く頭を下げると僕を部屋に案内した。事情を掴みかねている奈央や、眠そうに目をこすっている浩太も後をついてくる。

 渡された電子レポートを指でスクロールする。液晶画面に占拠されてから現在に至るまでの経過が順を追って映し出される。部屋に入ったところで、ふと気付いた。

「ずいぶん、対応が早いですね」

 部屋の奥に立った木島さんは正面を見つめたまま、眉根を寄せた。

 木島さんは今年で五十近い。発電塔での勤務経験もあるが、もう十年以上地上に降りている。低めの身長も、妙に似合うべっこうフレームの眼鏡も管理職の落ち着きを感じさせるのに、言葉はずいぶんとぶっきらぼうなのが常だった。

「……事故に巻き込まれたのが職員と技師だけだったら、問題ないんだよ」

 木島さんの脇に立っていた同期入社の早見が苦笑した。その顔が「それだけでも十分問題だ」と言っていた。僕はその視線に無言で同意し、再びレポートに目を落とした。

 確かに事故原因は単純だった。

 公団本部への外部からのコンピュータプログラム侵入。相互互換型コアの移管作業を利用して、公団本部から重力発電塔ターミナル11への侵入。結果として、塔内の自己防衛システムが作動。最上階は事実上の物理的隔離がなされている。それが現状の「封鎖」を生んでいる。

 しかし、プログラムへの侵入は比較的軽微なものであったし、最も本当に「侵入」であったとも考えにくい程度のものだ。よほどのことでも、ターミナル11のシステムならば自浄作用によって十時間以内には再可動されるはずである。

「誰か、いるんですか?」

「民間人」

 それも、反公団派の記者ども。そう言って、木島さんは険しい顔のまま続けた。

「場合によっては防犯システムが内部侵入と判断して、封鎖が長期化するかもしれん。11は各区画に生体認証がはたらくからな。そうなりゃ最悪だろ?」

 確かに。巻き込まれた相手が悪すぎる。

 透明性を出すためにそういった外部団体の開示要求に積極性を示す。そんな姿勢が裏目に出たようだ。これで、封鎖が長期化すればさらなるバッシングは避けられない。

「記事のトップは、ずさんな管理―民間人に危険を及ぼす発電塔。てところでしょうか」

 言ってくれるなよ、と木島さんは頭を抱える。

「とにかく民間人をさっさと追い出さないといけないんだよ。高梨」

 頭を抱えた木島さんに代わって早見が口を開く。

「わかってるさ。そこまでは。でも何で僕が呼ばれたんです?」

「呼んだのはお前だけじゃねえよ。ターミナル11の技師は全員に召集がかかってる」

 面倒そうに木島さんが愚痴る。しかし、僕の他には誰も見かけなかった。皆、こちらに向かっている状況なのだろうか、とそこまで考えてはたと思い当たった。

「……もしかしてコペンハーゲンの研修期間て昨日からでしたっけ?」

「それだけじゃないぞ。北海道の波力施設の整備実習やら、インドの新造施設の補助も重なってる。馬鹿みたいに冬まで後回しにするからだ」

 木島さんが悪態をつく。もちろん、その調整をしたのが自分たち管理部であることもわかっているのだから自虐的な管理職だ。

「つまり、閉じ込められていなくて自由に身体が動く技師は僕だけってことですか?」

「そうだな。牛島さんが動けりゃ……まあ、無理だろうな。俺だってそこまで人非人じゃないからな」

「石場技師は動けるそうですが、今は広島です」

 早見の言葉に、五十三歳の熟練技師の姿が浮かぶ。広島からではもう少しかかるだろう。薄々読めてきた。選択肢が自然に塗りつぶされていくのを確かに感じる。自分に求められていることはなにか。

「……誰かしらが塔に入る必要がありますね」

「ま、そういうことだよな」

 眉間のしわを揉み解しながら木島さんが続ける。

「一応、対策委員会を第二会議室で組むから参加しろ。早見。そこいらの職員かき集めておけよ」

 備え付けの冷蔵庫から栄養ドリンクを取り出して、木島さんは「さっさと行け」と促した。

 施設管理部の廊下は不思議なほど落ち着いていた。まだ外部に情報が流れていないからだろうか。それとも単に鈍感なのか。

「どう思う?」

 唐突に早見が口を開いた。黒のタイトなスーツが妙に似合うこの同僚は、就職当初は東北支部で勤務していた。一昨年の人事異動で、同じ同期だった宮原と交代する形でこちらに移ってきていた。今では管理部でいくつかのチームを担当している。

「どうもこうも厄介な事故だよ」

「本当に事故だと思うか?」

 僕は早見と目を見合わせた。

「……テロだっていうのか?」

「そこまでは言わないが、時期を合わせすぎている気がしないか。技師がこれだけ集まりにくいなんてそうない」

 確かにそうとも思えた。しかし、もし反公団の団体がわざわざ仕掛けたのだとすれば、あまりにも手が込みすぎている。発電塔の半分は民間施設とはいえこれだけのことを意識的にしたのであれば、第一級のテロ行為だ。

「ま、今のところはどうやって発電塔に入るかだな。頑張れよ、ターミナル11期待のエース」

「宮原のやつそんなことまで言ってったのか」

 早見は薄く笑った。

「期待してるやつは多いよ。奈央さんも浩太くんも疲れてるとこごめんな」

「……早見くん。わたし達も付いて行っていいのかな?」

 奈央が気遣わしげに訊ねるが、黒スーツの管理職員はひらひらと手を振った。彼女が技師として働いていた頃からの顔見知りでもあるからこその気軽な態度だった。

「むしろ今は一人でも専門家がほしいさ。ターミナル11の経験者は少ないし、奈央さんも実習はしたんだろ?」

「ほんとにちょっとだけど……よく知ってるね」

 実はそれもあって付いてきてもらったんだ、と早見が僕に囁いた。技師としての知識を期待されている妻の姿が、こんな時なのに頼もしかった。

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