シナノマチ 第一話:ジョブダイスと少女の夢

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 この物語の始まりが小さなサイコロ一つだからといって、些細な物語と言えるのだろうか。

 王宮の一般広間。大理石の床が天窓から射し込む光を吸い込み、身体の表面がさらさらと滑らかになる静けさが広がっている。

 広間の中央に並ぶのは十四歳の少年少女の一団。皆、緊張の面持ちながらも眼前に控える己の未来に胸を高鳴らせていた。

「次っ。東区第十二番街、セトの娘シナ」

「はいっ」

 分厚い本をかかえて名を読み上げた大臣に呼応して、一人の少女が一団の中から進み出た。

「それでは王様からジョブダイスを…」

 そっと小声で支持する大臣の言葉に頷いて、自分より前の子達がしたように一歩踏み出す。両足をきちんとそろえて丁寧に頭を下げる。形式ばった挨拶特有のギクシャクとした感じを大目に見れば自分の今までの短い人生の中でも最上級の礼であろうとシナは思った。

「手を」

 前の椅子に腰かける王は微笑みながら促した。震える両手を差し出すと、手のひらにダイスが置かれた。サラリとした肌触りのそれほど大きくはない、よく見かける六面のダイス。しかしながら、表面には何の数字も記号も文字もない。

「しっかりとな」

 そっと呟いた王の言葉に小さく「はい」とこたえる。王のわきに立つ白髪の大臣が、その前に置かれた小さな一本足の机を示した。

 肩が十センチメートル上がるくらいの深呼吸。

 シナは静かな部屋の中で自分の心臓の鼓動を感じた。吸った息を吐き切る。ダイスは手から離れた。小さく弧を描いて放られたダイスが布張りの机にあたって小さな音がする。

 ダイスを振るまでは、きっと、転がる様子がスローモーションで見えるだろうと思っていた。しかし、自分が体をザワザワと緊張させて放ったダイスはあっけないほどころころと、あまりにも普通の速度で、普通に転がった。そして、ちょうど机の真ん中あたりでピタリと止まる。

 ダイスが大臣に拾い上げられる。恭しく王に手渡されたそのダイスをシナは食い入るほど見つめた。

「ほぅ……」

 手渡されたダイスを見た王の口から漏れた小さな呟きに、自分の心臓がトクンッと跳ね上がるのを感じる。

「東区第十二番街、セトの娘、シナ」

 今度は大臣ではなく王の声が広間に響く。

「はい」

 血液が体中を駆け巡るドッドッドッ……という音が耳の鼓膜を太鼓でも叩くように震わせ、期待を圧倒する不安感が自分を包んでいく。今なら広間の端で針が落ちても音が聞こえるだろう。まるで体中が耳になったように思える永遠のような一瞬。人生の中でも一番緊張しているであろう場面で、シナは自分の想いの限りに祈った。祈りの中でシナは自分の持つほとんどのものを捧げた。誕生日に買ってもらった小さなオルゴールも、いつか旅行するための貯金も全部差し出した。そうして人の願いを叶えられる誰かに交換条件を持ちかけた。

 どうかお願いです、と。私の願いを叶えてください、と。

 私を……

「そなたの適性職は……」

 自分の祈りの終わらぬうちに王が口を開く。ぎゅっと握った拳に爪が食い込んだ。

 意識しなければ気付かないほどの小さな間を空け、その言葉はシナの耳に届いた。

「煙突掃除夫である」

 広間の大時計がカチッと鳴り、城のどこかの楼閣で鐘が鳴り響いた。鐘の音はあちこちの窓から城内に入り込み、白塗りの壁で反響を繰り返すと、その城を澄んだどこか堂々とした音色で満たした。そんな音の洪水の中で、自分が生まれて十四年と七日目のその日、午前と午後の境界線に、昼の陽の光が窓から差し込む広間で、シナは自分の適性を知ってしまった。

 中央大陸の西方に位置するこの国には、ある一つの奇妙なしきたりがある。

 それがジョブダイスであり、適職審査と呼ばれるものであった。

 十四歳を向かえた人間は男も女もみな、自分の誕生月に王の前でダイスを振る。ジョブダイスと呼ばれるそれは、ふるまでは六面全てが真っ白なただのダイス。ところが手から離すと、それを放った人間に最も適した職業がその表面に現れるという。

 そして国民のほぼ全員がそのダイスに示された職に就いていた。中にはそれを退け、自分のやりたいことを貫こうとした人間もいたが、上手くいかなかったり最悪の場合、食べていけず命を落とす者までいるらしい、というのがもっぱら町の噂であった。

 シナは自分がどうやって城から家まで帰ってきたのかよく覚えていなかった。

 頭も心も真っ白な何かが占領してしまって、他に何かが入る余地などない。ひとつのイメージが繰り返し頭の中を流れる。今まで自分が心底大切にしていた宝箱を、突然やってきた見知らぬ人間にこじ開けられて、空っぽなんだということを見せ付けられる。そんなイメージが。見たことも無い宝箱の中身を、勝手に想像していた自分が何だか無性に情けなく思えて、ぽっかりと開いた空間を埋める術が思いつかなかった。

「ああ、お帰り。シナ」

 気付いたらシナは家の前に立っていた。「雑貨店エイケン・ドラム」と書かれた看板が少し斜めになって軒先にかかっている。レジでお客さんの相手をしていた父親が入り口に立っている自分を見て声をかける。

「……ただいま」

 今にも崩れてきそうなゴチャゴチャの自分の頭の中に、他の声を入れたくなくて、急いで階段を駆け上がった。

 お客さんがいる前でそんなことを考えも無しにやっていい歳じゃないことはわかっていた。

 もっと明るく、元気な声を出さなきゃいけないのもわかっていた。

 でも今は無理。そう思った。思って、思って、声を追い払った。無理無理無理を繰り返した。

 もしかしたら泣いてしまいそうな気がして部屋に飛び込み、ベッドに倒れこむ。あるのか無いのかわからないくらいのスプリングが体を少しだけ揺らすのを感じながら、シナは顔をベッドに沈めた。

 シナの家は父子家庭だった。父親のセトは丸い眼鏡をかけた平均的な体格の男性で、家の一階で雑貨店を営んでいる。母親はシナが五歳のときにはもういなかった。遠くの場所で死んだとセトに聞かされていた。母の死を誤魔化すこともできない父の姿がひどく悲しそうだったので、詳しくは聞いていない。いつだってシナは父親をそのことで困らせるようなことは絶対にすまいと、心に固く誓っていた。母が死んで一番、悲しみ、苦しんでいるのが父であることをシナは痛いくらいわかっていた。だから、どんな時でも、父の前で弱音を吐くということは十四年かけて築いてきた彼女なりの小さな誇りが許さなかった。

 ベッドの上で顔を少しだけ息つきをするかのように横向けると、小さな赤い色のオルゴールが目に入った。生前に母が随分遠い所で買ってきてくれたものだった。自分の覚えている限りでは、一番最初の贈り物だ。それから母は毎年のようにいくつもオルゴールをくれたけれど、シナはそのその赤いオルゴールより好きになるものがなかった。手を伸ばし、引き寄せて開いた口から流れてくる音は部屋中ではなく、ベッドに横たわるシナだけを薄い音色の膜で包んでいった。この音と一緒に、自分で作った歌詞を歌ってくれた母を思い出しながら、今までシナは何度もこのオルゴールを開いた。そしていつの間にか、そうやって母の真似をして歌うことが自分の力になるような気がするようになって、父のセトに言えない弱音を何度もその音色で洗濯した。

 そんな自分が将来の夢は、と聞かれて、歌い手と答えるようになるまで時間はかからなかった。もしかしたら、母の歌を聴いていたときからずっと夢見ていたのかもしれなかった。

「……っ」

 ハミングだけでもしたかったのに、空気が鼻を通り抜けようとすると涙が出てしまいそうになって。必死にこらえた。今度ばかりはダメかも、という想いが溢れるほどにこみ上げる。顔をありったけ枕に沈めようとしたとき、部屋のドアがノックされた。

「シナ」

 返事が出来ない。声を少しでも出せば、父の前で泣いてしまう気がした。

「……父さんは今だけ、目も見えないし、耳も聴こえないよ」

 そう言った父がドアの向こうから去って行くのがわかった。

 シナは部屋を飛び出して、父の背中に顔を押し付けた。

 声にならない何かが溢れてきてどうしようもなかった。

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