桟橋に船が着き、観光客が次々とタラップを下りてくる。その中で、その女だけは目立っていた。船員に抱えられて車椅子でゆっくりと下りて来たからだ。
スカートに隠れて分かりづらいが、右太腿に大きなギプスを嵌めている。税関職員のハセベは同僚に目配せをして言った。
「あの女に間違いなさそうだな。今朝の匿名通報……」
「ああ、麻薬はギプスの中だ」
ショートヘアを茶髪に染めている車椅子の女は、別の通路に通された。
「観光ですか? パスポートを。何か申告するものは有りませんか?」
とハセベは訊いた。
「有りません」
女は笑顔をつくってはいるが、何かピリピリしている。ハセベはそれを感じとった。まだ若いとはいえ、嘘が下手な女だと思った。
「済みませんが、事務所までご同行願います」と女を誘導した。「そのギプスはいつから?」
女はギプスをあやしまれていると感じて、急に左右を見まわすと母国語でなにやら喋り始めた。女性職員の一人が通訳した。
この国が好きで観光に来た。特に歴史や古式豊かな観光名所が好き。大怪我をしてしまったけど、予定どおり船に乗ったのだ、と……。
「そのギプスの中には、あなたの脚以外に何が入っていますか?」
いきなりの指摘に、女は視点を硬直させて顔を赤らめ、スカートの裾を手で押さえた。
ハセベは同僚に指示した。
「捜査犬を連れて来い!」
シェパードがリードを引っ張るようにして入ってきて、女の太腿あたりを吠え立てた。
「よし、やった! えらいぞ、よしよし」ハセベは犬の頭を撫でた。「おい、ギプスを外せ!」
すると、女が慌てたように女性職員に向かって訴えた。
「あの……」と女性職員は通訳した。「怪我の場所が場所だけに、一部の日常生活が不便なため、下着を着けていないと言ってます」
一瞬言葉に詰まったハセベだったが、女性職員に超音波カッターを渡し、ギプスを外すように指示した。男どもは部屋を出て待つことにした。
ちょっと、ちょっとお。何するんですか。あなたたち気は確かですか? 医者からギプスを外すのは、まだまだ先だって言われてるんですけど……。
などと訴える女の声が聞こえた。
しばらくすると部屋のドアが開き、女性職員たちが出てきた。彼女たちは一様に首を振ってうつむいた。
「入っても大丈夫?」
と、ハセベは部屋を指差して訊いた。
「ええ、もう」
男性職員たちは部屋に入った。そして、女を見て目を剥いた。なんと女は車椅子ではなく、床に倒れていた。
後ろから、「え!?」という女性職員の声がした。
「どういうことだ!」
と、ハセベは振り返って怒鳴った。
女性職員たちは皆、目を丸くして否定の言葉を並べた。床の上で女が喚いている。
あああ、酷い! こんな扱いを受けるなんて!
女は自分の不幸をより示すように、体をよじって車椅子に手を伸ばす。だが、脚がいうことを利かずに車椅子には届かなかった。女は泣いた。
堪らず女性職員が駆け寄って、抱き起した。
「そんな!」とハセベ。
ギプスが粉々に砕かれて、水硬性樹脂を含んだガラス繊維が散乱していたのは良いが、スカートの中には太腿以外に何もなかったのだ。
女は車椅子の上で、また泣き崩れた。そしてクシャミをした。ギプスが外された脚から急速に体温が奪われたのだろう。
なんてことだ! これは拙いぞ!
『税関職員、車椅子の女性観光客に乱暴か!?』
ハセベの脳裏に、翌朝の新聞の見出しが踊りまくった。
まずい! これはまったく……。勤務査定にも、将来にも大きな汚点だ。
女はハセベに向かって泣きながら訴える。
わたしは、そんな者ではない。疑うなら、ここも調べて欲しい。
そう言って彼女は、動かせるほうの脚を開いた。
「分かりました!」顔をそむけてハセベは言った。「もう結構ですから」
だが、泣き止んだ女が言ったのは、驚きの言葉だった。女性職員が訳して伝えた。
「あの、もう一度ギプスを着け直して欲しいそうです。それと、それまでのあいだ毛糸のパンツが欲しいそうです。冷えるそうで。それで今までのことは許すそうで」
「マジで!」
「それから、早く観光に行きたいって……」
「今朝、匿名で通報があったものですから」
と、ハセベは謝罪した。
「まあ! もしかしたら、アパートの家主に違いないわ。最近ちょっとトラブルがあったものですから」
そう言う女に笑顔を返しながらも、ハセベは釈然としていなかった。当然だ。麻薬捜査犬はどうしたというのだ。
「犬が間違えるなんて、初めてです。申し訳ありませんでした」
「きっと私を覚えていたんですね。私、この港に毎月のように来ていましたから。観光旅行が趣味なんです」
「そうですか、なるほど。それではよい旅を」
十日ほどして、女は観光名所のパンフレットを片手に、また入国して来た。顔見知りの税関職員たちは皆、車椅子の女を申し訳ない気持ちで見送った。膝掛けとスカートの中には、ギプス以外は何も着けていないことを思いながら、ほとんどフリーパスに近い扱いだった。
だが、あのとき壊したギプスには麻薬が少々練りこまれていて、捜査犬に騒がれたのは女にとって予定の行動だったこと。そして、次の入国時はギプス内に麻薬が仕込まれていたことを、誰もが見落としてしまった。
そもそも匿名の通報者の声が、その女のものだと気付く者が居ようはずがなかった。その声を聞いたのは現場の職員ではないのだから。
‐了‐
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